短編小説「労働一家」16/李北鳴


「…われわれを解放してくれたソ連軍の協力と、私たちに土地を下さった金日成将軍の恩恵に報いて、国家とあなたたちにより多くの食糧を送るために、私たちは一寸の土地も残さず耕やしています。今年の食糧は心配しないで下さい。…ゴマ、ヒマシ油もたくさん送ります。私たちは朝起きると、まず最初にはるか向こうに立つ肥料工場の煙突を見ます。もうこれは習慣になりました。このごろ、その煙突から煙がモクモク出ているのがどれだけ嬉しく、私たちの力になっているか計り知れません。私たちの唯一の望みは、田植の時期を逃さぬよう肥料をたくさん送ってもらいたいことです…早く肥料を送ってください…」

これは咸興平野にある三平という農村の農民たちが、肥料工場の労働者宛に送ってきた手紙の一節である。

金鎮求は、この手紙が掲示板に貼り出された時、噛みしめるような気持で2回3回くりかえしながら読み、自分たちの責任の重さを感じたものだった。必ず農民の要求に応えよう――これは鎮求一人の決意ではなかった。

しかし今は、日産600トンの肥料だった。無事故、無停電で機械を動かしてみたところで、年間21万6千トンの硫安肥料しか生産出来ないのだ。

年間の責任量までは、まだ3万トン不足している。1日に700トンをもっと余計に生産しなくては計画を遂行することが出来なかった。

日本がまる20年をかけて酷使した肥料工場の機械は古く、また部分品も不足していた。

すでに労働者たちの創意考案により、飽和機をはじめ、少なからぬ機械が性能を回復したが、まだそれだけでは日産700トンの生産にはおぼつかなかった。硫安工場の焙焼炉を修理し、硫安を増産し、現在、日産170トンの液体アンモニアを220トンまで高めなければ楽観は出来なかった。

ここでピストン・ロットを解決する問題がクローズアップされた。一部の技術者までが、外国へ発注するしかないという意見を出したが、今注文してみたところで、年内の解決はむずかしかった。年内の解決が無理だということは、硫安肥料の年間計画を達成することが困難だということを意味するものであった。技師と技術者たちが半月をかけて労働者たちの意見を総合した結果、C高周波工場から生産される特殊鋼ならば、ピストン・ロットを製作することができるという結論に達した。この特殊鋼が鋳造工場を経由して旋盤工場に到着した日、旋盤工たちはそれをとりまいて歓声をあげた。

(つづく)

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