短編小説「労働一家」17/李北鳴


金鎮求は原型をハンマーで叩きながら、アンモニアがいっぱいに貯えられたタンクと肥料の山を胸に描いてみるのだった。必ずそうなる――こう思いながら彼は、それを製作せよという指示が自分に与えられることを望んでいた。

達浩は鎮求にもらったバイトでロットを削りながら、彼の作業に目をこらした。自分としては理解が困難なため彼は幾度となく旋盤の回転を止めた。口笛を吹きながら鉄柱の図面をじっと見つめては、切削部分を必要以上にパスさせて、報告して来ることに大きな苛立ちを覚えていた。

しかし達浩は、鎮求の足下に錐のような削りかすが山をなしているのを見て、彼が誠心誠意、心をこめて削っていることは明らかである。

あれが正しい作業方法ではなかろうか? 瞬間、こんな思いが彼の頭をかすめた。競争相手に見事なバイトまで惜し気もなく貸し与える鎮求の心根が、自分としては考えも及ばぬほど寛大なものに思えた。自分を見くびった一種の同情か? さもなければ真の友情をもってしてのことか?

(同情? そうかもしれん。いや、そうとも思えないが…)

彼は機械を空回りさせながら、しばらくの間物思いにふけっていた。

金鎮求は夜学を3年通っただけであった。それを基盤に、ひまをみては字を習い、やっとのことで自分の名前が書けるようになったのである。極貧の生活を送りながら、11歳の時に父を失った彼は、祖母をはじめとする5人家族を養ってきた。彼の労働者としての生活は、鉄工所のフイゴの前から始まっている。気の遠くなるような歳月を、稗と味噌とオカラとでやっとしのぎ、修理工として働きながら旋盤技術を覚えたのだった。しかし生活は依然として苦しかった。日本が始めた「大東亜戦争」の頃、生活はさらに苦しいものとなった。腐った豆に味噌が主食であった。にもかかわらず日本人監督は、日に12時間ないし15時間の労働を強要したのである。

「当時12時間でやった仕事を、今われわれは3時間もあればやってのけるさ…。要領のいい大工はカンナを3回取り替えりゃ、一日仕事が出来るって言うが、当時はボード・ネジ一つ作るにも1時間以上かかったもんだ。もちろん職工長の奴が見てはいたが、そんなのは田んぼのカカシみたいなもんだったさ…アッハッハッ」

鎮求は時たま、昔話のようにこんな話をしては痛快そうに笑うのであった。

どうすれば日本人に見咎められず、1日を送ることが出来るか?

解放前、日本人工場でこんな考えにふけっていた労働者は、金鎮求一人だけではなかった。彼は学びたくとも学べなかった労働者の一人である。

しかし、8・15の解放は、彼の悲願にも似た学問への扉を押し開いてくれた。

(つづく)

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