〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.13 逆境を順境に変える (2)
2023年07月24日 09:00 在日同胞大阪府青商会が見せた底力
青商会結成20周年記念公演「ウリ民族ツアーステージ」の近畿公演最終日(2015年9月27日、大阪・八尾プリズムホール)、舞台では中央青商会から翌年に民族フォーラムを主管する大阪府青商会にフォーラムプレートが手渡された。大阪府青商会は2002年以来14年ぶりに大阪で開催するフォーラムを機に、大阪同胞社会が直面する逆境を順境に変えようと活動に励んだ。しかし、その過程は困難の連続だった。 (過去の連載記事はこちらから▶︎青商会、挑戦と継承の足跡)
「地域中心主義」の壁
1996年に結成された大阪府青商会は歴代の役員たちも認めるように、同胞数が最も多い地方の青商会としては潜在力を十分に発揮できずにいた。主な要因は「地域中心主義」。つまり、自分たちの居住地域、母校のための活動には積極的に参加するが他の地域には関心を向けないという傾向が、府下の地域青商会をまとめ上げるうえで大きなハードルとなっていた。地域役員たちの中では、各地の青商会が参加するKYC運動や民族フォーラムへの関心もあまり高くなかったという。
このような状況を克服するため、大阪府青商会は12年の総会から一貫して「ALL大阪」をスローガンに掲げながら、府及び地域役員たちの認識共有、地域青商会間の交流の活性化、地域組織の建設・再建に注力。14年4月に西大阪地域青商会が6年ぶりに再建されたことで、13の地域青商会すべてが稼働するに至った。大阪でのフォーラム開催が決まった15年は、地域青商会の活動を軌道に乗せていく最中にあった。言い換えれば、地域単位では磐石な活動基盤が築かれていなかった。
15年11月に行われた大阪府青商会の総会を機に民族フォーラムの実行委員長を務めることになった金昌文新会長(現在、総聯大阪・東淀川支部副委員長、大阪府商工会副理事長、48)、朴一樹副会長(総聯大阪・東成支部常任委員、中大阪地域商工会理事、48)ら府の役員たちは、フォーラムの開催を決断するにあたり悩みに悩んだという。しかし議論の末、大阪同胞社会を取り巻く厳しい状況を打破するため、フォーラムを通じて広範な同胞たちの力を結集させようと開催の意思を固めた。
実際のところ、地域の役員たちからは「フォーラムに労力を費やすより、他にすべきことがたくさんあるのではないか」「府がフォーラムを開催すると決めても、地域は別だ」など反対意見が少なくなかった。それでも府の役員らは、各地域青商会の幹事会に参加し、地域役員たちと膝を交えながらフォーラム開催への熱い思いを伝え続けた。
知名度と期待値の低さ
一方で府の役員らは、「大阪同胞社会に大きなインパクトを与えるには何ができるのか」とフォーラムの方向性について繰り返し意見を交わした。
かれらの脳裏には初・中・高級級部生の頃の記憶が鮮明に残っていた。それは、総聯本部が大阪城公園で主催した同胞大祝典、当時の朝銀がエキスポランドを貸し切って開催した同胞行事に何万人もが集まり、笑顔と活気に満ちあふれた同胞社会の光景であった。当時の思い出は月日が経っても、府の役員たちの心の中に鮮やかに残っていた。
「今度は自分たちが、笑顔と活気に満ちあふれ、団結した同胞社会の姿を子どもたちに見せてあげようじゃないか!」
府の役員たちの士気が高まる中、大阪の地域性を熟慮したうえで、フォーラムのメインイベントは「同胞フェスタ」に決定。さらに雰囲気を盛り上げようと、八尾柏原地域青商会の邢行成会長(現在、東阿八尾柏原商工会副理事長、46)は金昌文会長ら先輩たちに発破をかけた。「昔のような1万人規模の集まりを催さないと、大阪の同胞社会は動きませんよ。フォーラムを開催するのであれば、それくらいの意気込みでやりましょう!」。こうしてフォーラム史上最大規模となる「1万人」という動員目標数が、大阪フォーラムの一つの謳い文句になった。
一方、メインスローガンには「大阪ダイナマイト」をはじめインパクト重視のフレーズが候補に上がっていたが、最終的には「大阪と言えばラグビー」ということで、フォーラムのコンセプトに打ってつけのラグビー用語で「攻守逆転」を意味する「ターンオーバー」が採用された。
紆余曲折を経ながらも宣伝動員活動に取り組み始めると、次は多くの同胞たちからこのような声が上がった。
「青商会ってなんやねん」「そもそもフォーラムってなんやねん」
朴一樹副会長によると、大阪ではいまだに青商会の知名度が低いうえ、大多数の同胞たちがフォーラムについて認知していなかったという。「青商会に何ができるのか」と期待値も高くなかった。だが、府の役員たちは「1万人フォーラム」を大々的に掲げた以上、後退りすることなんてできなかった。強まる逆風はむしろ、役員たちの心に火をつけた。
「熱い心を一つに」
「1万人を動員するためには、1万人の気持ちを動かさないといけない。さまざまな団体のもとを訪ね、ありとあらゆる同胞行事や会議に参加しては、青商会の思いを伝えて回った。『1万人の同胞たちが一カ所に集まれば、総聯の力をいま一度知らしめることができる! すべての同胞の熱い心を一つにすれば、必ず逆境を順境に変えていける!』と」(金昌文会長)。
金昌文会長ら府の役員たちのあふれんばかりの熱量は、徐々に各階層の同胞たちへと伝播。当初は反対意見を述べていた地域青商会の役員たちは「やるからには全力でやろう」と自主的に訪問活動に取り組み始め、総聯本部や女性同盟本部、商工会、朝青など各階層の団体も協力体制を整えてくれるようになったという。
迎えた当日、フォーラムと同胞フェスタの2部構成となったフォーラム会場の大阪朝高(当時)には、近年の大阪同胞行事で最も多い1万人超の同胞たちが集まった。圧巻の光景を目の当たりにして感動を受けたのは、会場を訪れた同胞たちだけではなかった。
「地域の役員たちは、1万人フォーラムの規模感、それを自分たちの力で成し遂げた達成感に浸りながら、『今日になり初めてフォーラムを開催する意義がわかりました』と口々に語っていた」(朴一樹副会長)。準備過程で地域の役員たちそれぞれが青商会活動について深く考え、一丸となって活動に取り組むことで、大阪府青商会が目指していた地域単位の土台強化、地域間の連携、役員たちの意識向上は確実に進んでいた。
フォーラムを通じて経験を積んだ大阪府青商会は、19年1月には総勢88チームが参加した同胞アカペラ大会「コリハモ」(朴一樹会長、実行委員長:邢行成副会長)を、22年4月には同胞児童・生徒、保護者ら約1000人が参加した「生駒山上遊園地☆ISJスペシャル遠足」(李起守会長)など、大型イベントを立て続けに開催。大阪府青商会の底力はフォーラム後も影を潜めることなく、大阪同胞社会に新たな活気を与え続けている。
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大阪フォーラムの当日、会場には各地から集まった青商会会員たちの姿があった。その中には、大阪フォーラムを機に地元でのフォーラム開催を決心したという地方青商会の役員たちもいた。
(つづく、李永徳)