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〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.2地方青商会の結成(1)/「気概」示した北海道

2020年11月04日 11:59 主要ニュース

青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の25年は、継承と挑戦の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「コッポンオリたちの輝かしい未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。週1回配信。

北海道青商会結成の様子(95年11月28日、中央青商会提供)

中央から遠く離れた北海道の地で、いかにして青商会初の地方組織が誕生したのか。

当時を知る関係者らは、その理由を「親分肌で、1度火が付いたら走り出す初代会長の気質、人柄にあった」と口を揃える。

北海道青商会初代会長を務めたのは、当時40歳だった朴昌玉さん(65、北海道商工会副会長)。

「ポンテ ポイジャ(본때 보이자、気概を示そう)」が口癖だった会長は、事あるごとに地域の同胞青年たちを熱く鼓舞していたという。

青商会結成大会(95年9月6日)

1995年9月の青商会結成大会当日、札幌だけでなく稚内、網走、帯広、函館などから集まった10数人の青年たちは、日本初の豪華寝台特急「北斗星」に飛び乗り、期待を胸に東京・新宿の会場に足を踏み入れた。各地から集まった430人の同胞青年たちでひしめく会場。その光景は、北海道の青年たちの心に大きな感動を与えた。

「同世代の同胞が、こうして大勢集まっているのをみると、力が湧いてくる」(朴会長の当時の発言)

青商会という中央組織を持つ1つのネットワークの結成は、同胞社会での活躍の場を模索していた青年たちにとって、新たな希望と可能性を感じさせるものだった。広大な土地に同胞たちが離れて暮らす、北海道という土地柄で育った青年たちにとっては、なおさら切実に感じられた。

「皆で力を合わせて大きなことをやりたいが、北海道のように中央から遠く離れていると、ほかの地方との連携が取りにくい面がある…今後は青商会の会合を開催するなどして、交流を深めたい」。朴会長の心には、新たな抱負が芽生えていた。

「会長は常々、1世のアボジたちの意志を受け継ぎ、3世、4世へと民族性を守り継ぐ必要性を語っていた。そして、商売だけでなく、組織や学校を守るうえでも他者との情報交換が不可欠だという、この2つの考えを大事にしていた」(崔寅哲・北海道青商会初代幹事長、当時35歳。60、北海道商工会理事長)

他地域から刺激を受けたいという北海道青年たちのニーズが、結成大会で抱いた熱い思いを推進力に、かれらを初の地方組織結成へと走らせる。

だが、歴史に例のない組織を作るということは、容易ではなかった。「青商会の規約や活動内容などをめぐり、準備委員会を発足させるまで、ずいぶん揉めたことを覚えている。6、7回は会合を重ねた」(崔幹事長)。

幾度の議論を経て、10月末には、朴昌玉会長や中央青商会の李敬銖副会長を中心とした、北海道青商会結成のための準備委員会が発足。そして、青商会結成大会から3カ月後の11月28日、ついに青商会初の地方組織である北海道青商会が誕生する。

「一番最初の地方組織というプレッシャーもあった。しかし、結成したからには皆が『頑張ろう』『北海道のポンテ ポイジャ』という、前向きな気持ちで一丸となっていた」(崔幹事長)

このように中央青商会結成を契機に各地に広がった地方組織建設の波。しかし、組織建設の過程は、地域によって千差万別だった。

「青商会どうすんねん!」――中央青商会結成から間もなく、青商会事務所には突然の来訪者が現れる。

(つづく、金宥羅)

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