〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.14 未来へのビジョン (1)
2023年07月31日 07:30 在日同胞青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の歴史は、挑戦と継承の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「子どもたちの輝ける未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。
兵庫が描いた「20年後の未来」
各地の青商会会員たちは地域同胞社会や民族教育が困難に直面しながらも、大胆な発想と実行力でさまざまな活動に取り組んできた。かれらを突き動かしてきたのは、自らが描いた未来へのビジョンを必ずや実現しようとする強い思いに他ならない。
同胞社会に新しい風を
2016年9月11日、「ウリ民族フォーラム in 大阪」が行われた大阪朝高(当時)には各地から多くの青商会会員たちが参加していた。その中に、前日の中央青商会第20回定期総会で最優秀地域KYC賞を授賞した東神戸灘地域青商会の趙源模会長(現在、神戸初中教育会会長、50)もいた。
兵庫県青商会の副会長も務めていた趙源模会長は地域活動を通じて得た実績と自信、負けず嫌いな性格から「兵庫でより良いフォーラムを開催したい」と燃えていた。一方、すぐ側にいた兵庫県青商会の趙寿來会長(現在、総聯兵庫・姫路西支部常任委員、西播初中教育会会長、48)もかねてより「兵庫同胞社会と民族教育に新しい風を吹き込みたい」という思いを抱いていた。2人は大阪朝高の運動場で兵庫フォーラムの開催について話し合い、すぐに中央青商会の役員らを訪ねてフォーラム開催を希望する旨を伝えた。これが2018年9月24日に開催された兵庫フォーラムの始まりであった。
17年8月に実行委員会が発足して以降、フォーラムのテーマを決めるための議論は半年間にわたり続いた。18年2月、兵庫県青商会の執行部メンバーたちは集中的な議論を行うため、県内のとある施設で「合宿」を決行。かれらは各自が準備したプレゼン資料を発表しながら、午前3時過ぎまで真剣に意見を交わした。その中で一致したのは、フォーラムを機に青商会の会員たちはもとより、県内の同胞たちや朝鮮学校に通う子どもたちが共に「20年後の未来」を考えようということだった。
同胞たちが団結して困難を乗り越えて行けば、希望に満ちた未来が待っているかもしれない。他方で、同胞社会や朝鮮学校を取り巻く環境がいっそう厳しくなっていることも十分に考えられる。明日を見据えて「今何をしなくてはいけないのか」。兵庫県青商会はそのことについて同胞たちが考え直す機会を、フォーラムを通じて設けようとしたのだ。
風を生んだ力
準備過程では実行委員や12地域の青商会役員たちが、20年後の同胞社会と民族教育の輝かしい未来をイメージしながら企画を構想。4.24教育闘争の伝統と精神を未来へとつなぐためドキュメンタリー映画「ニジノキセキ」の制作などに挑戦した「プロジェクト4.24」をはじめ、7つの実践的なプロジェクトに取り組んだ。
中でも、ブランディング企画「BECAUSEプロジェクト」は大きな反響を呼んだ。プロジェクト名は「Be-ing」(民族、存在)、「Ca-lling」(志)、「Use-ful」(人材)という3つの言葉を組み合わせたもの。BECAUSE(だから)を合言葉に朝鮮学校の価値をブランド化し、その魅力を発信していこうとする同プロジェクトは、児童・生徒数の減少に歯止めをかけようとする青商会と学校関係者たちの思いが合致したことで始動した。「ブランディング企画という新たな試みを始めた当初は、まったくの手探り状態だった」とプロジェクトの責任者を務めた姫路西地域青商会の朴晶久会長(現在、総聯姫路西支部常任委員、西播初中教育会副会長、45)は振り返る。そんな中で大きな助けとなったのは、映像やポスターの制作、宣伝広報戦略の立案に携わった同胞専門家たちや、プロジェクトに参加した県内の朝鮮学校、とりわけ神戸朝高の生徒たちの存在だったという。
兵庫県青商会は準備期間に県内の朝鮮学校を頻繁に訪問し、朝高生たちとも積極的にコミュニケーションを図った。その過程でプロジェクトの趣旨や朝鮮学校で学ぶ意義を改めて実感した朝高生たちは、CMやプロモーションビデオの撮影、フォーラム当日に披露するBECAUSEダンスの練習に意欲的に参加。朝高生らの溌剌とした姿がさまざまな宣伝媒体を通じて拡散されると、フォーラムに対する同胞たちの関心はよりいっそう高まった。さらに、兵庫県青商会が各種同胞行事での呼びかけや同胞訪問活動、プロジェクトの実践活動に励むうちに、たくさんの同胞たちか惜しみない協力を申し出てくれた。
趙寿來会長は常々「フォーラムを通じて青商会が新しい風を吹かせたい」と考えてきた。しかし、その考えはいい意味で裏切られた。
「フォーラムの準備過程で風を吹かせてくれたのはむしろ、同胞たちや朝鮮学校の生徒たちだった。兵庫フォーラムは、兵庫同胞たちによって作られたもの。専従も非専従も関係ない。すべての同胞たちが力を合わせれば、どんな困難も乗り越えていけると確信した」(趙寿來会長)
フォーラム前夜、趙寿來会長は遅くまで会場で準備作業に取り組んでいた実行委員や舞台演出者らと合流した後、心の中に秘めた兵庫同胞たちへの思いを自身の言葉でストレートに伝えるため、フィナーレで読み上げるスピーチの内容を急きょ書き直したという。
実現に向けた道のり
フォーラム当日、実行委員長の趙寿來会長は舞台上の企画を「1秒も客席から見届けることができなかった」。事務局長を務めた趙源模副会長から来賓対応やフィナーレだけに集中するようにと念を押されていたからだ。
しかし、大きな心配はしていなかったという。青商会会員たちの努力、兵庫同胞たちの支えによって、舞台を無事に終えられることは確信していた。それに舞台の成功以上に重要なのは「フォーラムを機に兵庫同胞社会がいかに変わっていくか」だと考えていた。
あれから5年後、フォーラム当時に県青商会の幹事長を務めた総聯姫路西支部の徐正斗委員長は「兵庫ではフォーラム開催を通じて築かれた土台が現在も生きている」と話す。
フォーラム当時の青商会役員たちが県内3校の朝鮮学校の教育会会長を務めているように、フォーラム世代の青商会OBたちは総聯支部や分会、商工会、教育会などそれぞれの持ち場で奮闘し続けている。また、BECAUSE プロジェクトの活動は歴代の青商会役員らによってアップデートされながら今日まで受け継がれている。神戸初中教育会の趙源模会長によると、フォーラムやBECAUSEプロジェクトを契機に学校支援に関する同胞たちの意識が確実に変わり、学校を取り巻いて各団体のつながりも強くなっているという。
かつて兵庫同胞たちが描いた「20年後の未来」への道のりは、まだ途中にある。しかし目標実現に向けた歩みは、フォーラムを機に吹き始めた風を味方につけながら、一歩ずつ着実に前進している。
◇
兵庫県青商会がフォーラム開催へと動き出していた時、実はもう一つの地方青商会も開催に名乗りを上げていた。その青商会とは、九州同胞社会が直面する課題を鑑み、同胞たちの心を一つにする道を模索していた九州青商会だった。
(つづく、李永徳)