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〈さくっと解説~知識の源Q&A〉世界遺産、端島の実態とは

2024年12月18日 09:00 社会

多様・複雑化する昨今の日本社会で、相互理解の前提となる知識や認識の積み重ねは、一層その必要性を増している。【企画】知識の源Q&Aでは「社会を知る~今週のnewsトピック~」(本紙毎週月曜日号)と関連して、今知っておきたい知識をQ&A形式で紹介する。

2015年、ユネスコ世界文化遺産に「明治日本の産業革命遺産」として登録された端島(軍艦島)。昨今、世界遺産を巡るツアーや端島を舞台に描いたドラマも放映されているが、端島での朝鮮人強制労働の歴史を振り返り、世界遺産登録の問題点を今一度点検する。

Q.端島炭鉱が開発された経緯は?

A.端島は、長崎港から南西に約18キロメートルの沖合に位置する、約6万5千平方メートルの小さな島だ。この島の地下から良質な石炭が採掘できると1890年から三菱合資会社(後に三菱鉱業株式会社)により、開発が進められた。海底で石炭を採掘するために、地下に巨大で複雑な坑道が掘られ、地下約1千メートルの深さまで掘り進められたのだが、朝鮮人労働者たちは、うつぶせで掘るしかない狭さの坑内で、気温は平均30℃、湿度は95%と暑くて苦しい環境のもと労働に従事した。また、坑内にはガスがたまり落盤の危険もあった。

 

Q.当時、労働を強いられた朝鮮人の証言はある?

A.14歳で端島に強制連行された徐正雨さん(慶尚南道出身)は、「食事は豆カス80%,玄米20%のめしと鰯を丸だきにして潰したものがおかずで、私は毎日のように下痢して、激しく衰弱しました」と証言を残している。

17歳の時に連行された尹椿基さん(全羅北道出身)は「1日3交替で、低い天床の下で働かされました。3人1組で、一日のノルマはトロッコ10台以上でした」と当時の労働を証言している。

 

Q. 朝鮮人強制連行者はどれくらいいたのか?

A.歴史研究者の竹内康人さんは『三菱鉱業高島炭鉱・端島炭鉱への強制連行』で1910年代後半に三菱は当時植民地支配下の朝鮮へ「募集」をかけ朝鮮人を働かせていたという。1910年代の高島炭鉱(高島・端島)の労働者数は約3400人で、朝鮮人が1割を占めていたと明記しており、そのうち朝鮮人は坑内で166人(高島坑84人、二子坑12人、端島坑70人)、坑外で186人が働いていた。

高島炭鉱への強制連行者数については、中央協和会の「移入朝鮮人労務者状況調」と石炭統制会の統計史料、サハリンからの転送者統計などを合わせて3100人以上とみられると竹内さんは主張しており、それに1944年10月から1945年度の動員者や在留朝鮮人で現員徴用された人、数百人を加えた4000人とみている。

 

Q.「産業遺産」としてユネスコ世界文化遺産に登録された。問題点は何か?

A.国連教育科学文化機関であるユネスコは教育、科学、文化の分野で国際協力を通じて、世界中の人々が互いに理解し合い、平和で持続可能な社会をつくることを目的としており、その事業の一環で「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」を基に遺産登録および保護、継承を行っている。ユネスコの精神に則るとすれば「産業遺産」は資本形成の視点、労働者の視点、国際的な視点で評価しなければないが端島を含む「明治日本の産業革命遺産」は資本形成に対する賛美のみ行われている点が問題であると竹内さんは指摘している。その上で日本は端島炭鉱への強制動員、朝鮮人差別はなかったと歴史を歪曲しながら登録に踏み切ったことも問題点である。

 

Q.昨今の歴史否定の流れを朝鮮はどう見ているか?

A.朝鮮外務省日本研究所のチャ・ヘギョン研究員は22年1月11日、朝鮮外務省HPに掲載した文で、佐渡鉱山ならびに端島炭鉱について「日本だけが世界文化遺産登録を自らの犯罪の歴史を美化・粉飾するために悪用している。日本が侵略と略奪行為を世界遺産という風呂敷に隠そうとすることは、植民地統治の歴史をなんとしても否定し覆い隠そうとするところに目的がある」と言及した。

(朝鮮新報)

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