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〈歴史の「語り部」を探して〉関西編

2024年08月01日 09:05 歴史

通信使の船団が11回も寄港した兵庫・室津(写真は室津漁港)

朝・日友好の象徴として挙げられる朝鮮王朝の朝鮮通信使(1607~1811年、計12回)。壬辰祖国戦争(文禄・慶長の役)で断絶状態にあった両国の国交回復のため、一方で拉致連行された捕虜返還と日本の国情調査のために「回答使」として始まり、200年以上にわたって友好の使いとして日本へ派遣された。

通信使は対馬から瀬戸内海に入り、大阪から京都へ。さらにそこから東海道に沿って江戸へ向かった。各地の大名たちは一行を歓待し、街の人々も通信使を一目見ようと沿道に殺到したと伝わっている。

その足跡は、今も各地で、ゆかりの地として保存され、その友好の歴史を語っている。

2017年にユネスコは、「朝鮮通信使に関する記録」を「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録した。

〈歴史の「語り部」を探して〉関西編では、一行が歩んだ朝・日友好の道を辿る。

(高晟州)

いまも各地には、日本による植民地支配や強制連行の痕跡が多数存在し、朝鮮半島にゆかりある場所や遺物もまた、物言わぬ「語り部」として数多く残っている。連載「歴史の『語り部』を探して」では、現代までつづく植民地支配の禍根や、日本のなかの朝鮮ゆかりの地について、紹介していく。

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