〈歴史の「語り部」を探して〉名もなき犠牲者の「恨(ハン)」/沖縄編(上)


輝く広大な海、豊かな自然に囲まれた日本屈指のリゾート地、沖縄県。その地の片隅で、静かに佇む歴史の「語り部」がいた。

魂の叫び/恨之碑

3月中旬。県内の気温は20度を上回り、街では半袖姿の人がちらほら歩いている。額にじわりとかいた汗をぬぐい、沖縄県庁発のバスに乗り込んだ。走ること約1時間、終点の読谷(よみたん)バスターミナルに到着した。

読谷バスターミナル

沖縄県の中部に位置する読谷村は、4万人余りが暮らす日本一人口の多い村。緑濃い山並みを誇る一方、隣接する嘉手納町の米空軍基地の影響で、住民の多くが騒音被害に悩まされている地域でもある。

「恨之碑」看板

マップを頼りにしばらく歩くと、手製の小さな看板が見えた。「恨之碑 80m先左」。示された方向に沿って緩やかな山道を進んでいっても、家々が並ぶのみで人通りはほぼない。

5分ほど歩いただろうか。村内を見下ろせる景色が広がった丘に、大きなブロンズ像がもたれかかるように立っていた。2006年に建立された「恨(ハン)之碑」だ。

碑は、アジア太平洋戦争と沖縄戦に徴兵された朝鮮半島出身者を悼み、元軍夫の朝鮮人と日本人支援団体「恨之碑建立をすすめる会沖縄」が中心となって立てたものだ。高さ2.7m、横2mのレリーフ。

アジア太平洋戦争において、日本は120万人を超える朝鮮人を戦場へ連れ出した。1945年3月からの沖縄戦でも3500人以上が動員、多くの命が犠牲となった。

***************************************

※この続きはログインすれば閲覧できるようになります。

会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。

会員登録ご希望の方は、画面右上にある「会員登録」をクリックしてください。

ログインフォームへ