〈民族教育と朝鮮舞踊16〉舞踊組曲「歳月」公演-文芸同舞踊部の活動-


祖国の専門家を招聘しての3年間にわたる「朝鮮舞踊講習会」は大盛況のうちに終わった。その成果をもって文芸同中央舞踊部は「舞踊組曲」を公演することにした。全国の各支部舞踊部と学生も参加できる公演を催すため、組曲形式で舞台を創れば物理的な問題もクリアできると考えた。

「舞踊組曲『歳月』」東京公演(2001.3.20)参加者の記念撮影

「舞踊組曲」とは、一定の主題や共通点をもつ、個々に完成した作品で構成された舞踊形式である。祖国では90年代初期から「季節の歌」や「平壌城の人々」などの「舞踊組曲」が創作・公演され、絶賛を浴びていた。

私たちは当初、何を主題として組曲を構成するのかを議論した。朝鮮全土の八道に伝わる民俗舞踊を舞台作品化して公演しようとの意見もあったが、各道にそれぞれの特徴がある舞踊作品を挙げるのが難しく、また偏りもあった。私は朝鮮舞踊史を研究していたこともあり、民族の歴史と各時代に踊られていた代表作をもって組曲にしたらどうか、という案を出した。結果的に組曲の構成はそのように立てられた。それからは時代ごとの舞踊をピックアップして、既成の作品があるものはその作品を、無いものは新しく創作することにした。そして「舞踊組曲」の題名は「세월과 더불어(歳月)」に決まった。

「舞踊組曲『歳月』」公演は、悠久なる朝鮮民族の歴史の中で、民族文化の貴重な遺産でもある朝鮮舞踊の魅力を広範に示すとともに、祖国を遠く離れて異国に生まれ育った在日朝鮮舞踊家、舞踊愛好家、そして次世代の学生たちが、共に民族の魂と誇りが込められた朝鮮舞踊を公演することで、民族の熱い志を受け継いでいくことを目的とした。

はじめに時代別の舞踊を精選してみると、今まで踊り継がれたものは8作品あり、あとの9作品は新しく創作することになった。また、「舞踊組曲」の音楽、衣裳、小道具、舞台美術などはすべて新たに創らなければならなかった。

「舞踊組曲『歳月』」のプログラム表紙

私は組曲の台本草案を持って、2000年9月の祖国訪問時に祖国の担当者、芸術家たちと最初の創作協議を行った。作家、作曲家、按舞家、舞台美術家、演出家など祖国の著名な先生方は、日本の地で朝鮮の歴史を舞踊に形象化する組曲公演に創作的意欲が強く掻き立てられると興奮なさっていた。舞踊は、キム・へチュン先生を中心にペク・ファニョン先生、ペク・ウンス先生、オム・ヨンチュン先生、キム・ヨンギル先生など人民芸術家・人民俳優たちが創作し、作曲もパク・ムジュン先生、カン・ギチャン先生、シン・ヨンチョル先生など人民芸術家と、チョン・セリョン先生、リ・ソㇰ先生、ハン・チョル先生など功勲芸術家たち、ピパダ歌劇団やマンスデ芸術団の作曲家のキム・キョンミン先生、キム・ハギョン先生、ハン・ルヨン先生、キム・ヒャン先生など錚々たるメンバーが担当してくれた。舞台美術はすべて人民芸術家であるファン・リョンス先生が担当された。朝鮮屈指の芸術家の先生方が在日朝鮮舞踊のために珠玉の組曲を創作してくれたのだ。そして、作品伝習のために数人の舞踊部員が祖国に行き、按舞家から作品を直接伝授された。全舞踊曲の録音と舞台道具や幕、幻燈のフィルム、衣裳や小道具等も祖国で制作した。

組曲は、古代朝鮮時代より伝わった鳳扇(ポンソン)、箜(コン)篌(フ)を持って優雅に舞う「朝の国」から、編み花飾りを持って民族の団結を表す「永遠に栄えあれ」に至る全17作品で構成された。公演は大阪(2000年12月24日、大阪国際交流センターホール、昼・夜)、名古屋(2001年2月4日、愛知県勤労会館、夜)、東京(2001年3月20日、北とぴあ・さくらホール、昼・夜)の3都市で計5回行った。

公演には9つの各支部舞踊部と3名のゲスト(鄭珉、鄭明子、金順子氏)出演、賛助出演として中級部(10校)、高級部(3校)、朝鮮大学校舞踊部の生徒・学生たちが参加した。

人民芸術家キム・へチュン先生との創作協議
(2000.9ピョンヤンにて)

文芸同各支部舞踊部は、メインの作品はすべての公演で演じ、作品別には公演地によってダブルキャスト(2~3作品ずつ)で準備した。生徒・学生たちは、大阪公演では大阪朝高(16人)と京都、滋賀、尼崎、神戸、西播の中級部(合計16人)が出演し、名古屋公演では愛知朝高(16人)と同中級部(16人)が出演した。そして東京公演では東京朝高(16人)、西東京第一、西東京第二、神奈川、川崎の中級部(合計16人)と朝鮮大学校(24人)から、合計120人が出演した。各高級部は「カンガンスウォルレ」、中級部は「名節ノリ」の作品に出演し、朝大舞踊部は東京公演での「カルチュム(剣舞)」と「朝の国」に出演した。

全国の文芸同舞踊部が参加したこの公演は、作品別の綿密な練習、通し稽古や舞台稽古はもとより盟員自身が公演の宣伝をし、チケットを売り、広告を集め、各公演地にも自費で参加するなど、すべて自発的に行った意義深い公演であった。舞踊部盟員たちは、それぞれ仕事や子育てをしながらも熱心に練習に通い、割り当てられた作品を舞台上で芸術性高く形象した。漲るそのパワーはいったいどこから出てきたのであろうか。日本で生まれ暮らしながらも、民族教育を通して身につけた民族の魂が込められた朝鮮舞踊に魅了され、踊る喜び、自分自身を表現できる幸せに生きがいを感じていたからこそのものであろう。

「舞踊組曲『歳月』」は、全国の文芸同舞踊部がひとつになり、中級部生からオモニたちに至るまで各公演に総勢260余人(生徒・学生は32人ずつ、東京公演は56人)が参加し、3都市での5回の公演を延べ6000人が観覧して、在日朝鮮舞踊運動史に輝かしい一ページを記録した。

朴貞順(朝鮮大学校舞踊教育研究室室長)

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