Facebook

SNSで共有

“在日の生き様、歴史の痛みがここにある”/変わりゆく風景、ウトロ同胞たちの思い

家庭を顧みず、同胞を思い奔走した活動家の姿

京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。近鉄伊勢田駅を下車し、道沿いに10分ほど歩くと、風景が一変する。トタン屋根にベニヤ板のバラック、色あせた立て看板。そこには、戦後の混乱を生き抜いた同胞たちの生きざまが色濃く残っている。長年の土地問題が決着し、現在、市営住宅への入居をはじめとした再開発が始まったウトロ。変わりゆく風景の中、この地に根を張りつづけた同胞たちは、今、何を思うのか。

皆で守り抜いたウトロ

「ウトロ守らなと必死だった。私らの、ほんまのふるさとやから」。当時の心境は?「いつも不安やん。負けたら追い出されるから。毎日、すごくびくびくしてたんやで」――。

ウトロの入り口に残る立て看板

第2次世界大戦中、国策で進められた京都飛行場建設には、多くの朝鮮人が集められた。解放後の混乱の中、労働者と家族らは工事用飯場に定着し、朝鮮人集落を形成していく。植民地支配により、国を奪われ、戦後補償もない中で、貧しさと差別にあえいだ日々。やっとの思いで築いた安住の地に、突如届いたのは、地主を名乗る不動産会社からの「立ち退き」通告、そして、「住民らに土地所有権はなく不法に占有している」と記された京都地裁からの訴状だった。

89年3月、京都地裁で行われた「立ち退き訴訟」第1回口頭弁論。

“この訴訟は、飛行場建設の労力不足を補うために半強制的に朝鮮人を雇ったことなどの歴史的経緯や、戦後処理が果たされないまま今日に至った実情を無視し、住民の居住権、生活権をはく奪するものだ”

この「被告」側冒頭意見陳述は、問題の本質を端的に表している。ある日、いきなり裁判所によばれ「被告」とされた住民の当惑、感じた不条理さ、苦労を重ね築いたコミュニティを再度奪われるという危機感に、住民たちは怒り、結束した。

ウトロの地に生きる在日朝鮮人としての正当性をめぐる長い長い闘いのはじまりだった。

町内会長をつとめた夫・金教一さんとの思いでを語る韓金鳳さん

――冒頭の発言は、現在もウトロに住み続ける韓金鳳さん(79)。ウトロ町内会長をつとめた夫、故・金教一さんを支えるかたわら、20年に渡り、女性同盟の分会長を務め、ウトロの闘いの歴史を刻んでいった。

「ウトロの裁判には、毎回通った。一回も欠かしたことはない。皆で観光バスに乗り込んで、東京にある日産車体(ウトロの土地所有者)の本社も訪ねた。ガードマンがずらりと並ぶ前で、チョゴリ着て、チャンゴ叩いて抗議した」

2000年11月、最高裁は上告を棄却。「不法占拠」とする原告(西日本殖産)の主張を追認し、住民に立ち退きを命じた。

闘いは続いた。支援の輪は大きな広がりを見せ、日本市民や各地の同胞、南の市民たちからカンパが寄せられた。南では、ウトロを支援する30億ウォンの予算が通過、また、総聯京都府本部の呼びかけにより全国の総聯組織から約1200万のカンパが寄せられた。

「全国から、世界からも応援があったから今日がある。みんなでウトロを守った」

アルバムをめくる手が止まり、ふっと韓さんの表情がゆるむ。「この笑顔ええやん」。指さす先には、

*************************************

※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。

 会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。

 会員登録ご希望の方は、「新規会員登録」にてご登録をお願いします。

 大変申し訳ございませんが、2013年4月20日までに会員登録をしていただいた方も、再度ご登録をお願いいたします。

 パスワードを忘れた場合、「会員パスワード紛失窓口フォーム」をご覧ください。

*************************************

로그인(ログイン)