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〈朝・日次世代鼎談〉101年目に考える関東大震災朝鮮人虐殺

2024年05月01日 08:00 歴史

失われた尊厳と命の重さ/同世代が共に、解決の主体に

2023年は関東大震災から100年目の年だった。朝鮮人虐殺の真相究明と日本政府に対する責任追及を求める声は同胞社会にとどまらず、日本各地であがったが、政府は「調査した限りでは政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」と繰り返すばかり。真相究明はおろか、犠牲者やその遺族に対する謝罪に至ることはなかった。こうした政府の姿勢が、なぜまかり通ってしまうのか。そして、いまだ清算されていない100年前のジェノサイドについて次世代たちは何を思い、いかにして解決策を見出そうとしているのか―。在日朝鮮人学生と日本人学生3人による鼎談から考えてみたい。(まとめ・韓賢珠)

鼎談者※在籍は今年1月取材時のもの

  • 崔大奎さん(上智大学外国語学部4年)
  • 許恭旭さん(朝鮮大学校文学歴史学部3年)
  • 牛木未来さん(一橋大学大学院修士2年)

朝・日の大学生たちが主催した都庁前行動(23年8月)

―関東大震災から100年の年だった2023年、各地で当時の朝鮮人虐殺の真相究明と追悼等を目的としたさまざまな取り組みが行われた。個人または自身が関係する団体でどのような取り組みが行われたのか。

許恭旭さん

:関東大震災100年に際し、学内で所属する「強制連行真相究明サークル」で朝鮮新報や労働新聞などの媒体が虐殺の歴史をどのように報じてきたのを調べようと、資料収集を行った。なぜなら、100年が経ったいまも、真相は分からないままで、まずは先代たちによる真相究明運動をもう一度整理する必要があると考えたからだ。その他にも、朝大では留学同の学生たちと共同研究実践プロジェクトを実施するなどして問題についての理解と認識を深めてきた。

:昨年は、留学同東京国際統一部の部長として、日本の学生や留学生などを対象に、関東大震災と関連するフィールドワークや学習会などを実施した。中でも、100年に際した展示会では、学生たち自らが考え、関東大震災前後の歴史までを含めたパネルを制作したり、日本学校出身者らを対象にした朝鮮学校見学会のときに虐殺跡地へのフィールドワークを兼ねるなど、本来の活動に合わせて関東大震災に関する学生たちの認識を深めていった。

牛木:一番に挙げられるのは、トルパ(朝鮮語で突破の意味)プロジェクトだろう。主催した「朝鮮人虐殺の歴史を記憶し、朝鮮人差別を反対する一大行動」実行委員会は、留学同の在日朝鮮人学生と日本人学生で構成されている。昨年5月の発足以来、年間を通じて、学習会やフィールドワークなど、朝鮮人虐殺の本質について共に考え、行動することで次世代たちの連帯の輪を広げようと活動が展開された。夏には、その集大成となる新宿駅周辺のデモ行動とシンポジウムも行った。

 

―取り組みを行ってみて、率直に思ったことは

牛木未来さん

:社会的に大きく話題になったかといえば、ニュースには頻繁に出ても、若い世代の認識はそうとは言えない現状を肌で感じ、残念だなという感情が一番にある。一方で、同胞社会から離れようとしている、または日本人として生きてきた同胞青年たちに、過去の史実を知識として知らせることができた。特にフィールドワークの過程で、いまの世代が抱える苦しみと100年前の共通性、犠牲者たちと直接的な関係がなくても、朝鮮人が味わった痛みの共通性を認識してもらえたことの意味は大きかった。

牛木:今まで教科書や参考書など文章から当時のことを学んできたが、歴史の一つとして、なんとなく知識があるという感じだった。けれど今回、実際に体験者遺族の証言を聞いたり、虐殺跡地へのフィールドワークをしたりする中で、失われてしまった被害者の尊厳と命の重さを身に染みて感じた。日本人である私には、どういうことが求められているのかを考える過程で、胸に迫るものがあった。

今起こってもおかしくないような虐殺現場を前にしたとき、自分は果たして正しい行動ができたのかなと、むしろ自分が加害の側になっていた可能性があると思うと、無関心の延長が、人の命を奪うことにつながるんだと、リアルに想像できた。一方で活動においては、同世代の日本人側の基盤のなさに愕然とした経験でもあった。

 

―100年という節目を前後して、この国家的ジェノサイドに対する視点や感情の変化などはあったか。

崔大奎さん

:「(虐殺は)正当防衛だった」「犠牲者数は盛られている」といった巷で話されるようなことは、正直に言うと自分も似たような認識を持っていた。日本学校で学んだ日本史にも「諸説ある」と説明書きがあった。この間の活動は、そうした風潮に自分が踊らされて、同化させられていたのだと気づかせてくれた。

植民地主義のもとで、尊厳の取捨を絶えず迫られているという点で、100年前の人たちと自分たちは一緒だと思った。だからこそ、虐殺を見聞きした生存者たち、資料に対し向き合い、訴えていかないといけない。でないと、本当に歴史がなかったことにされる未来が、遠からず来るという危機感を持っている。

:サークルで積極的に活動する前までは、自分も当事者意識はなかったように思う。

けれども例えば、日本で防災の日とされる日が朝鮮人虐殺のあった日で、そんな日に国もメディアも、大震災や虐殺そのものに言及はしても、虐殺主体については触れない。そういうことに違和感や怒りを覚え、それらを勉強する過程で当事者性が少しずつ生まれたように思う。

牛木:歴史を学びはじめた最初の頃は、こんなひどいことがあって、日本ってこんなひどいことをしたのかとショックの連続だった。でもずっと勉強していると、ある瞬間からそれが驚きではなくなってしまい「まあ、そうだよね」と慣れみたいなものに陥ってしまう。また活動をしていても、一つひとつの事象に想像力を働かせるという作業が段々とおろそかになっていた。

学生時代を振り返ると、「どっちもどっち」「政治的なものは危険だから話さない」といった空気が実際にあり、語ろうとしない子たちがほとんどだったように思う。そういった意味で、トルパプロジェクトに携わる前までは、自分も他人事や過去のことだと捉える節があったと思っている。なぜかと考えたとき、「国や人々がそこまでするのか」ということが、どうしても想像できなかった。

でもいま考えてみると、在日朝鮮人などマイノリティーの人たちが、傷つけられ・踏みつけられているのを、あんまり考えないで生きていける現状があることに気づいた。この自分の態度は、100年前を生きた日本人が虐殺の主体となったこと、それを黙認したことと、それほど変わりないと思う。

 

―日本社会の受け止め方は、どう映ったか

:(虐殺に対する)受け止め方が、政府の政策に連動している気がした。歴史に対して、「解釈によって違う」「個々人が判断していい」というような風潮が社会的に許容されるのは、当事者意識を持たなくてもいいような教育の存在、政治状況が関係していると思っている。

牛木:高校で授業をしていると、いまの子どもたちが言うのが「日本の責任を問うことは自分たちに対するヘイトとして感じてしまう」というものだ。自分に向けられた批判であっても、負の感情である限りはそれを攻撃として捉えてしまう。

例えば、テレビで日本の加害史に関する話題が出ると「また責められてるよ、日本」となったり、留学先で現地のコリアン系の人から日本の加害について言われて、背景に関する知識がないままに傷つき、それが解消されないまま嫌悪感に変わってしまう。そうした同世代や次世代に対し、連帯の場に、あなたたちも一員として入れるんだと伝えていく必要があると思っている。

抗議のプラカードやうちわを掲げ新宿駅周辺をパレードする参加者たち(23年8月)

―加害を直視し、またそれと当事者性をもって向き合うために必要なアプローチとは。

:いろいろな考え方を持つ人がいるが、まずはその人たちを学習会や抗議行動といった学びの場に巻き込むことが重要ではないか。歴史認識というのは、学習なくして持てないし、磨けないものだ。共に考える場をつくり、働きかけることが大事だと思う。

:痛みや苦しみを味わわないと当事者性は持てないと思う。だから学習するにしても「その当時もし生きていたら」「自分がその場にいたら」などと考えさせるようなアプローチが大事かなと思う。

牛木:トルパプロジェクトを進める期間、その他の運動に携わる人たちとも積極的に会うようにしていた。そこで驚いたのは、例えばZ世代には動画でアプローチしたり、気軽に参加できるような工夫をしたりと、私が知らなかった新しい方法や形式で運動を進めていた。そうしたさまざまな運動に励む人たちと共通点を見出し連帯することも、運動の輪を広げることにつながるはずだ。

 

―この間の活動で感じた希望や期待があれば聞きたい

:特に日本学校に通う同胞学生たちは、事実を受け止めることから始まるので苦しい作業だったはずだ。結果として関東大震災だけじゃなくて、朝鮮人問題に関心を持ち、通名使用をやめた子がいた。小さなことかもしれないが、個人にとって大きな決断に至るような例が見受けられたのは希望を感じられた経験だった。

牛木:活動を通じて朝鮮人虐殺というワードを、周囲の人たちにできるだけ触れてもらおうという努力があったので、「なんだろう」という取っ掛かりが必要な人たちには、少しでも影響を与えたのではないか。

新宿駅周辺をパレードする参加者たち(23年8月)

―改めて、関東大震災とは。また今後どのように歴史と向き合っていくのか。

牛木:関東大震災時の朝鮮人虐殺は、単に緊急時に人々がパニックになり起きた問題ではなく、日本人の中にある「あいつらはどうなってもいい」というような差別心が根底にあって起きたものだ。だからこそ(虐殺に対する)社会や同世代の向き合い方に、少しでも変化をもたらせるよう、受け身で待つのではなく、動くことを意識したい。

これは犠牲者や遺族たちの、尊厳が回復されるまで、ずっとやらなくてはならない活動だと思っている。そのうえで、最初から自分がこう思っていたわけではないし、勉強しようと思うまでにどういう感情を持ったのか、それを共有しながら、共に考える日本人を増やしていければ。

:関東大震災の問題は、主体性・当事者性・立場性を在日朝鮮人に再認識させる象徴だと思っている。

命が奪われるという究極にむごい事件に対し、国家が謝罪や補償をせず、隠蔽しようとしている点で、すぐに虐殺されることはないとしても、自分たちの明日はわからない。自分の場合、国籍も日本で、客観的な条件は日本人でしかない。だからこそ自分は在日朝鮮人として、同胞や社会、日本の人たちに向けて植民地主義に対する抵抗として語りかけていきたい。

:今も変わらないのは、人の尊厳を否定するような社会的な風潮があり、それが100年前から地続きだということだ。

自分は、日本の大学生たちと学習会で問題意識を共有する過程で特に、「解決の主体は誰が担うべきか」ということを考えるようになった。そのうえで、朝大生だけ、留学同生だけでなく、日本の大学生までを含めて、同世代が共に解決の主体となり考えていくことが必要ではないだろうか。

 

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