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〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.7 さらなる飛躍への土台(6)/「ネバーギブアップ」の精神で

2021年05月10日 12:00 主要ニュース 暮らし・活動

2008年の千葉フォーラムで、千葉県青商会の姜尚賢会長(左)からプレートを受け取る茨城県青商会の李忠烈会長

2007年に岡山、2008年に千葉と「中小県」の開催が続いた民族フォーラムは、2009年に茨城で行われることになった。発起人は、茨城県青商会の李忠烈会長(現・茨城初中高教育会会長、茨城県商工会理事、52)。岡山フォーラムの企画にプレゼンターとして出演した際、地域密着型の企画や各地の青商会関係者の出演などによってフォーラムを成功させた岡山県青商会の試みに、「発想を変えたら、茨城でもフォーラムを開催できる」とヒントをもらったのがきっかけだった。

李忠烈会長はまた、民族教育の重要性を訴えかけた岡山フォーラムの内容に感銘を受け、「フォーラムを開催すれば、児童・生徒数の増加につながる」と確信。岡山フォーラムの会場を後にするや茨城県青商会の幹事たちに連絡を入れ、同日夜に開いた緊急会議で2年後のフォーラム開催を宣言した。しかし、茨城にはフォーラムの参加経験者がほとんどいなかったため、幹事らは「『会長は何を言っているんだ』と困惑した様子だった」(李忠烈会長)。

半信半疑の反応を見せる幹事らを尻目に、李忠烈会長はフォーラム開催に向かってひた走った。それほどまでに、同胞社会の生命線である朝鮮学校の現状に危機感を抱いていた。当時、茨城初中高では児童・生徒数の減少傾向が著しく、全校生の数が100人台を切っていた。

(このまま手をこまねいていたら、いずれ茨城初中高が休校の危機に直面し、北関東全体の同胞社会にも甚大な影響を及ぼしかねない)

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