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追及し続けること

2023年09月16日 08:30 取材ノート

8月初旬、関東大震災時の朝鮮人虐殺と関連した、とある講演の場。講師として登壇した鄭永寿さん(朝鮮大学校講師)は聴衆に問いかけた。

「100 年をどう捉えるのか」。植民地支配下で生まれ、異国の地であらゆる尊厳を踏みにじられながらも、必死に生を紡いでいた在日朝鮮人が、一日にして国家主導の虐殺の被害者となった。

明日を奪われた朝鮮人たちと私はどう向き合うべきか。筆者は先述の鄭さんの問いかけをそう受け止めたが、一方で会場を見渡し、残念な気持ちを抱いた。メインイベントに先立ち行われた講演会は、想定した半分にも満たない参加者数だった。リアルなところ、100年前の虐殺に対する関心の低さが際立ったわけだ。

9月1日を前後したたくさんの関連取材をする中で「節目だから頑張らなきゃね」という言葉を度々耳にした。節目だから頑張るのはもちろんだが、だからといって盲目的に行事に参加し、声をあげるだけではダメなはずだ。その瞬間を「わたし」にとって意味のあるものにすべきではないか―。

虐殺体験者の証言を集めてきた西崎雅夫さんにインタビューした際、かれは進展をもたらすためにはどうすればいいかと問う筆者に、こう話した。

「いまこの状況で、風穴を開ける方法があるかと言われればない。唯一できることは、100年前の朝鮮人虐殺を、一人でも多くの人々が知り、その総体でもって政治を動かしていくこと。共通の歴史的事実を、日本人そして朝鮮人が知る過程で、私がそうだったように、社会の見方や自分への見方が変わると思う」。

節目の100年に思う。関東大震災朝鮮人虐殺のみならず、在日朝鮮人の尊厳や権利をとりまく事柄に主体的であることとは、それを追求し続けることであると。

(賢)

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