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〈ウーマン・ヒストリー 14〉女性の普遍性を求めた記者・小説家/李善熙

2016年02月15日 09:00 文化・歴史

華やかな言動

1930年頃、文壇では多くの女性作家たちの活躍が目につくようになる。

それは高等教育を受けた女性が社会に出て自己実現をしようとも、まだ物書きぐらいしか活動の舞台がなかったからである。

社会運動や理念的な直接的描写が不可能な状況下で、多くの女性作家たちが取り扱った問題が、封建的家族関係の中で生きる「新女性」の問題であった。

李善熙(1911 ‐ ?) 女性の普遍性を求めた記者・小説家 14 咸鏡南道咸興市出生。元山の樓氏女高普、梨花女専を修了。1934年「中央」誌に「不夜女人」を発表し文壇デビュー。代表作に短編小説「計算書」、中編小説「女人命令」等。

李善熙(1911 ‐ ?) 女性の普遍性を求めた記者・小説家 14
咸鏡南道咸興市出生。元山の樓氏女高普、梨花女専を修了。1934年「中央」誌に「不夜女人」を発表し文壇デビュー。代表作に短編小説「計算書」、中編小説「女人命令」等。

当時、新式教育を受けた男性たちの中には、結婚していた女性と離婚し「新女性」と再婚するという社会現象が起こっていた。そのため多くの男性作家は、「旧女性」に対する義理か、「新女性」に対する愛かで葛藤する主人公などを題材にした作品を描いた。その反面、女性作家たちは男性中心的な家族制度の中で理不尽な境遇におかれた女性に焦点を合わせた。

中でもジャーナリストで作家・李善熙は、女性の被害性と存在感を客観的な描写で浮き彫りにし注目された。

李善熙は1911年12月咸興で生まれ、母は六歳の時、肺病で亡くなったという。父は娘に熱心に音楽を教えたという。父と散歩にいくと善熙は山の上で海に向かってできるだけ大きな声量で歌を歌った。すると彼女の父は非常に喜んだという。後に、彼女が専門学校で声楽を専攻にしたのも父の願いであった。卒業後、彼女は開闢社に入り、ジャーナリストとして文学活動を始めるのであった。感覚的で、華やかな文体は当時文壇でも噂の的であった。

1934年4月7日、李善熙が初めて寄稿した随筆「若い女性の虚栄」(朝鮮日報)で彼女は「若い女性の虚栄はひとつの罪なき芸術である。あの人を思う肥やし、輝かせる美しい欲望なのだ。春風のように軽く、虹のようにきらびやかな希望なのだ。世の中の上品な先生方、何も知らないのにむやみにお叱りなさるな。私はこの持って生まれた虚栄のせいで可哀想なのだから。なんと苦しい存在であろう」と言っている。こんな事を言ってのける李善熙であったから、ポソン(朝鮮の足袋)のかかとに穴があいていても、自分を馬車に乗ったお姫さまと言い、私生活もどこか美化と誇張が多かったという。

また「三千里」誌(34年6月号)では「私がソウル女市長になったならば」という記事でこう答えている。

「一、ソウル中の市民を全員呼び出して栄養注射を与えます。二、ダンスホールを100ヵ所ぐらい作り、老若男女関係なく踊るようにしますね。三、救世軍が大通りで群れを成して歩けないようにします。とても見苦しいから。四、女性記者に特別待遇を与えるものの、違反する者は拘留に処しますね」

若干23歳の記者であった李善熙の自由で、華やかな言動は目を見張るものであった。

平等な夫婦関係を描く

李善熙は27歳の時、朝鮮日報に入社し学芸部の記者として活動した。そこでは「季節の表情」、「映画で得たコント-女人都」という、感覚的な随筆を書き紙面で発表していた。またこの頃から善熙は、作家としても頭角を表していった。

1937年に発表した「計算書」(雑誌「朝光」にて)では、夫婦間における心の面での平等度を提起した。

事故で片足をなくした妻に、変わらず優しく接してくれていた夫であったが、ある日新しいネクタイを締め外出する姿を見た妻は、自ら離別を決心し夫婦関係の「計算書」を作るのであった。その計算書は妻が足を一つ失くしたなら、夫も足を一つ失ってこそ、気兼ねない夫婦関係を維持できるといったものであった。

夫・朴英鎬は「北朝鮮演劇人同盟」の初代委員長

夫・朴英鎬は「北朝鮮演劇人同盟」の初代委員長

つまり、李善熙は肉体的、精神的、物質的に対等な夫婦関係にこそ、「愛」というものが存在するのだといった。このように善熙は主体的に生きる女性が目指すべき夫婦のあり方を独特な世界観で描いていった。彼女の文学は初期から男性の家父長的な支配論理に対する被害意識と女性としての普遍的な存在確認に関心をよせている。

李善熙は既婚者である有名劇作家、朴英鎬と結婚したが前妻との葛藤の中で苦労したという。

彼女の夫は解放後、朝鮮文化建設中央協議会に参加し、46年には二人で共に北に移っている。

李善熙は48年に朝鮮の土地革命を扱った「窓」を発表している。この作品は日帝時代、私立学校教員しながら小地主となった兄と、貧困に苦しめられた小作人の弟との間に生じた衝突を通して、新旧世代間の葛藤を描いたものだ。このように解放後は、朝鮮の民主改革を肌に感じながら作家活動を行っていった。

夫、朴英鎬は「北朝鮮演劇人同盟」の初代委員長となり、朝鮮戦争の時、人民軍従軍作家として参戦し、休戦を目の前にして亡くなったそうだ。 また善熙も40歳を目前にして病でこの世を去った。

(金真美 朝鮮大学校文学歴史学部助教)

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