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【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」⑧

2023年11月01日 09:00 歴史

向けられた敵意と軽蔑の目

朝鮮人虐殺を目撃した永代橋川辺で、お香を立てて慰霊する日本人女性(83年撮影)

1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の大地震は東京、埼玉、神奈川など関東一円を襲い、人々を混乱に陥れた。同日から巷では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」などの流言蜚語がまわりはじめる。当時、日本の政府、軍、警察が主体となり起こした「朝鮮人狩り」は、少なくとも6千600人以上の犠牲者を生んだとされているが、今日に至っても真相究明を拒む日本政府の姿勢は、犠牲者とその遺族、体験者らを苦しみに晒し続けている。

【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」では100年前の関東大震災時にあった朝鮮人虐殺を目撃および体験した同胞たちの証言を、朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』(1963)から紹介していく。

申鴻湜(東京都練馬区)

当時わたくしは19歳で学生でした。9月1日、2学期から学校を変えるために、九段上にあった朝鮮総督府留学生監督部へ書類をもらいにいきました。帰り道12時ちょっと前だったと思います。市電で九段坂をおりる時激しい地震にあいました。電車は倒れ、家も轟音と共に倒壊し、瞬く間に火の海と化しました。

私には深川、タカバシにある下宿に一瞬も早く帰ることしか頭に浮かびませんでした。電車も倒れてしまったので、駿河台下から小川町を経て両国橋へ向かって歩きました。(中略)私は恐怖におののきながら下宿に急ぎましたが、火炎は益々激しく錦糸町あたりからは一歩も先へ進めませんでした。(中略)市川の町ではすでに「朝鮮人は殺す」といううわさが流されていたので、私は学生証を破り捨て2人で汽車に乗りました。

日本の友人は私を窓際に座らせ、自分は通路側に座りました。次の駅(船橋駅だったと思います)で棍棒、鳶口などを持った消防団や青年団が多勢乗り込んできて、「そこの海岸に今、朝鮮人が船で来襲して町に放火し、井戸に毒薬を投げ入れ、女子どもを殺している。この車にも朝鮮人がいるから今から征伐する」と叫びながら乗客を一人ひとり調べました。私たちの所まで来たとき、

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