公式アカウント

〈ものがたりの中の女性たち71〉「消えてしまおう、消えてしまおう」—香娘

2023年08月28日 09:00 寄稿

「訥隱文集」表紙

あらすじ

香娘(ヒャンラン)は、慶尚北道一善郡荊谷里に住んでいた農夫朴氏の娘である。幼い頃から端正で綺麗好き、近所の男子と遊ぶことも好まない。

母を早くに亡くし継母には虐待を受けるが、香娘は親孝行である。17歳の時に14歳の林七(リムチル)峰(ボン)に嫁いだが、粗暴で幼稚な夫は香娘を苦しめる。彼女はそんな夫を、まだ幼いために粗暴だが年が行けば落ち着くだろうと判断、そんな苦悩は顔には一切出さずに耐え続ける。ところが、歳を重ねても夫の蛮行は変わらず益々酷くなり、暴言と暴力の末彼女の髪を掴むと引きずり回し、ついに香娘は義両親によって実家に帰されてしまう。

折しも凶作の年、実家では義母に穀つぶしと嫌味を言われ続け、再婚を断ると追い出され、亡き母の実家の叔父宅に身を寄せるとそこでも再婚を強要され、行く当てのない香娘はしかたなく義実家に戻るが、夫七峰が怒り狂い彼女を暴行、義父は彼女が自決することを憂い再婚を勧める。進退窮まった香娘は、吳泰江の川辺で柴刈りの少女に自身の姓名と故郷、父への伝言を依頼する。香娘は少女と共に高麗時代の忠臣の碑の前に至ると、髪をほどき髷(ヘアピース)とチマを少女に渡し、「山有花」の一節を詠った後、チョゴリを頭に被り川に身を投げる。深い流れを直視するのが恐ろしいのだ。香娘の投身自殺が巷に伝わると、これを哀れに思った郡守が祭文を書いて祭祀を行い、朝廷に報告する。その後、「二夫に見えず」という儒教の教えを守った烈女として祭られる。

第七十一話 香娘傳

香娘イメージ

「香娘傳」は、作者李光庭(リグァンジョン)(1674~1756)の伝記の体裁を取った漢文短編小説に近い作品で、原題を「林烈婦薌娘傳」という。作者の文集「訥隱((ヌルン)文集」に収録されている。朝鮮王朝十九代王粛宗(スクチョン)(在位1674~1720)の時代の有名な実際の事件をモチーフにしており、李光庭は「林烈婦薌娘傳」により、香娘の記録とそれにまつわる民間の伝承の内容を文学的により豊かにしたと評価されている。

この事件が起こった年は1702年である。ところが香娘の「ものがたり」は時が経っても人々の記憶から消えずに伝承され、香娘が詠ったとされる「山有花」は民謡として流布。また香娘の故事は詩人や作家の素材として取り入れられ、詩や傳、小説などあらゆるジャンルの作品を生み出していく。同じ作者の長編詩「薌娘謠」は、詩形式の代表的な例でもある。

香娘の事件は、当時の文人と士大夫たちに衝撃を与えたようで、他の文人たちも多くの「香娘傳」、「香娘詩」を残している。

※李光庭(1674~1756)字は「天(チョン)祥(サン)」、号は「訥隱(ヌルン)」。幼少期より聡明で読書を好み、「莊子」、「楚辭」、「史記」などを耽読、古文に秀で名文を多く残した。1699年に実父母、養父母を共に亡くし、科挙を放棄、小川(ソチョン)山に入り後進を教えながら文章家としての生涯を送る。何度も朝廷から官職の打診を受けるが固辞、当時の慶尚道の文壇の範であり、正しい教えを説いた立派な人物として有名。

衝撃と同情と恥と陰謀

舞踏劇「香娘傳」

当時、「礼不下庶人」の原則の元、香娘は身分的に再婚が可能である。「お前は農家で生まれたのだから追い出されてしまったなら再婚すべきだ」という母方の叔父の言葉は、彼女が置かれた立場を端的に表している。ところが死をもって再婚を拒否したその行動は、当時の士大夫たちにとっては青天の霹靂、衝撃以外の何物でもない。

「礼」を「命」と重んじる儒教社会において、「何も学ばず、学べなかったはずである」農家の少女が、守らなくてもいい「二夫に見えず」を守ろうと命を捨てたのだから「驚き」である。学んだはずの良家の子女や、士大夫に向けて恥を知れと揶揄する他の「香娘傳」や、儒教の教えを守るためいとも簡単に自死してしまう女性たちを讃えた「烈女」の説話が嘘だと思っていたある文人は、「本当に烈女がいるんだ、平民なのに自死するなんて、なんと可哀そうなことだ」と、自身の「香娘傳」で同情する。同じ事件から受ける衝撃も感慨も、立場が違えば著しく違うものである。量産された「香娘傳」は、朝鮮王朝中期の忠孝や烈女志向を、社会の底辺にまで拡散しようとする当時の「知識層」の「黒い陰謀」だったのかもしれない。

 絶望の果て

香娘のお堂と墓と烈女碑

香娘は本当に「烈女」になりたかったのだろうか?「烈女」になって実家や義実家の名を轟かせたかったのだろうか?そうだとするなら、その意図は失敗に終わったことになる。彼女の父も継母も、母方の叔父夫婦も、元夫も義父母も、「香娘傳」系の全作品において批判、非難されているからである。作品によっては、彼らは皆逮捕され、罰を受けるのだ。香娘は自身の境遇に絶望する。「ああ、帰る場所のない悲しみよ。父母(継母)が私を娘とも思わず、夫が私を妻と認めず、義両親が私を嫁と認めず、どうやって生きて行けよう。いっそ川に身を投げその清冽さと一体になれるなら魂なりとも救われようものを」

李光庭の「香娘傳」は、すべてから見放された彼女の悲しみと絶望を生々しく描写する。自分の死が証明されなければ、男と逃げたと噂されるかもしれない。貞節は社会的に公認されなければ意味がない。たまたま行き合った少女に、自死の証人になってもらうほかない。彼女は「山有花」の一節を少女に詠って聞かせる。

空は高く道は遠い、私はどこへ行けばいいの、川の流れに身を投じ、魚に運ばれていく(天高地遠、我何適兮、投體江流、載魚腹兮)

「薌娘謠」ではさらに凄絶である。

三従之道は断たれ人の道理も歪んだ、どんな建前でしがみつけばいいの、ああ この身が帰る場所はないのに、目の前には永遠の蒼い波、清いこの身のままむしろ清流に飛び込み、あの世で母に悲しい思いのたけを吐き出そう(三從道絶人理乖、有生何面寄寰㝢、嗚呼一身無所歸、面前滄波流萬古、無寧潔身赴淸流、下與阿孃悲懷吐)

作品では、絶望の果てに死の選択をする香娘を「烈女」として美化する意図はなく、作者の怒りと悲しみ、そして深い同情を感じる。ましてやその死の選択が、「立派な女性」への自主的な選択などとは到底思えない。そこに感じるのは、「誰にも必要とされない」深い悲しみと、孤独である。と同時に、親であることを放棄した「父」への怒りと、父権性を露骨に体現する当時の社会に対するささやかな「抵抗」である。

(朴珣愛、朝鮮古典文学・伝統文化研究者)

Facebook にシェア
LINEで送る