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〈長生炭鉱水没事故〉「骨を返して」訴え30年/進まぬ遺骨調査、遺族らの思い

2023年02月09日 10:56 歴史

長生炭鉱の水没事故犠牲者を追悼する集会(山口県宇部市)が4日に行われた。コロナ禍の影響で3年ぶりに事故現場を訪れ犠牲者にチェサをあげた遺族たちは、日本政府の謝罪と遺骨の収集・返還を強く訴えていた。

3年越しのチェサ

追悼集会当日、南朝鮮からきた4人の遺族らは、集会前に事故現場付近にある西光寺を訪ね、犠牲者らの位牌におじぎをし、手を合わせた。

西光寺には、1942年2月3日の水没事故直後、炭鉱経営者が事態を収拾するために急遽つくった位牌が保管されている。当時、経営者はその位牌とともに犠牲者の葬儀を行った。

朝鮮人の位牌はほとんどが創氏改名された後の名前が記されており、位牌の裏には朝鮮語で本名が書き足されたものもある。

犠牲者の甥にあたる「長生炭鉱犠牲者大韓民国遺族会」(「遺族会」)会長のヤン・ヒョンさん(75)は「この間は直接チェサを行えず申し訳ない気持ちだった。無事できてほっとしている」と3年ぶりの訪問について感想を述べ「位牌を見るたび、言葉にできない苦しみを感じる」と声を落とした。

1991年、日本人有志らを中心に発足した「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(「刻む会」)では、事故の証言を集め位牌に記録された朝鮮人の本名を探し当てるため、当時の労働者名簿に記載された朝鮮半島出身者らの住所宛に手紙を送った。「刻む会」によると、当時、追悼碑建立に向けた動きを進める中で、朝鮮人犠牲者の名前を本名で碑に刻みたいという関係者らの思いがあったという。

これをきっかけに、南朝鮮では長生炭鉱犠牲者に対する関心が広まり、翌92年には55人からなる「遺族会」が発足された。93年からは「刻む会」の招きで毎年追悼式に合わせて訪日している。

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