〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.1中央青商会の結成(2)/結成前日まで続いた議論
2020年10月19日 09:15 主要ニュース青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の25年は、挑戦と継承の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「子どもたちの輝ける未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。週1回配信。
青商会結成大会は、準備委員会が発足した翌月の9月。わずか1カ月の準備期間に、各地から集まった準備委員らは組織建設に関する問題を解決するべく、議論に明け暮れた。総聯、商工会、女性同盟、朝青と整然とした組織体系が作られていた総聯組織に、30代を中心としたもう1つの世代別組織を作る試みは容易ではなかった。
「準備委員会は発足したが、当時、青商会はどういう組織で、何をするのかというイメージは漠然としていた」と語るのは、中央幹事長(1期~4期)を務めた李洪一さん(当時35歳。61、西東京商工会相談役)。
青商会は、地域の枠を超え、30代を総網羅する組織として何を行うのか。1カ月後に迫った結成大会の場で、各地から集まる同胞青年たちに中央組織として、明確なビジョンを示す必要があった。
規約や活動方針をめぐる議論は、結成前日まで及んだ。
「今は、青商会に当たり前のように組織体系が出来上がっているけど、当時は違った。規約を作る際、年齢制限や内容で決着がつかず、結成前日にも3,4時間にわたり議論した。結局、議論が終わらないので、自分と金光男副会長で『うちらで責任を持ちましょう』とまとめたこともあった。すべてが初めてのチャレンジだったから、従来の発想や慣例ではなく、自分たちで考えて、新しいものを創造したいという気持ちが強かった」(宋元進・中央青商会1期、2期会長)
そして迎えた9月6日の結成大会。会場の京王プラザホテル(新宿)には、北海道から九州まで39都道府県の代表たち430人が集結。また当時、自民党の国会対策委員長を務めた山崎拓氏や日本青年団協議会事務局長が来賓として招かれるなど、内外の大きな関心が注がれた。
「在日朝鮮人運動の変化する現実と私たち自身のニーズ、そして青年商工人協議会の経験と教訓に基づき、新時代の主人公として活躍する同胞青年商工人のための新しい組織として青年商工会を結成する。ここに、広範な同胞青年を団結させ、かれらの活動をさらに活性化させていく」
宋元進会長の結成宣言で、青商会の歴史が幕を開けた。
大会では、中央青商会のメンバーたちが紹介された。舞台に立ったメンバーたちの表情は皆明るく、希望にあふれていた。「皆が『これからだ』という決心を胸に、10年、20年後の明るい未来を目指していこうと新たなスタートを切った瞬間だった」(宋会長)。
同胞青年たちの熱気に包まれた結成大会。李幹事長は青商会結成の意義を次のように語る。
「これまでの総聯組織が1世が築いたものなら、青商会は、2世、3世が自らの力で築いた初めての組織といえる。30代の同胞青年たちの新たな活躍のステージを作り上げたという意義は、大変大きかった」。
変化する同胞社会のニーズを捉え、新たな時代の主力として登場した青年商工人たち。中央組織の活動がスタートした後、青商会メンバーたちは、県レベルの青商会組織づくりに奔走する。そして中央青商会結成大会から2カ月後の95年11月、初の地方青商会組織として産声を上げたのは、北海道青商会だった。
(つづく、金宥羅)