〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.1中央青商会の結成(1)/30代同胞の模索
2020年10月12日 10:00 主要ニュース青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の25年は、挑戦と継承の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「子どもたちの輝ける未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。週1回配信。
中央青商会初代会長の重責を担った宋元進さん(当時39歳。63、東京商工会相談役)は苦悩していた。
(青商会という新しい世代別組織がうまくはまれば、朝青を卒業した青年たちが抜けることなく、組織に携わり続けることができる。しかし…)
時は、1995年8月。青商会結成大会を1カ月後に控えていた。
在日同胞社会における世代交代や、組織化された、よりレベルの高い経済活動を行いたいという若い商工人のニーズから、青商会という新たな組織を結成する運びとなったが、新たな世代別組織に対するさまざまな意見が、宋会長を悩ませていた。
当時、各地には青商会の前身となる団体が存在していた。70年8月の「在日朝鮮青年商工人たちの集い」(東京)を契機に、地域ごとに結成された青年商工人協議会(젊은 상공인협의회)だ。朝青卒業後の活躍の場を求めていた当時の30代から40代前半にあたる2世たち。1世の背中を見て育つ中で、同胞社会のために何かをしたいという思いはあったが、商工会や分会などの既存のコミュニティには距離を感じていた。そんな「同胞社会における自らの役割」を模索する青年たちの思いが、青年商工人協議会へと繋がった。
経済セミナーや学校支援活動、ゴルフや懇親会と、活動のレベルに差異はありながらも、活発な活動を行っていた協議会が各地にあったことから、青商会という新たな中央組織の発足に対しては、「組織化されることで自由な活動ができない」「今ある協議会で充分じゃないか」などの声が上がっていた。
青商会会員に29歳から満40歳という年齢制限を設けたことも、結果的に協議会で活躍していた40代会員たちを切り捨てる形になるとの意見が出た。
宋会長自身も、各地で活発に活動している協議会を、中央組織を持つ1つのネットワークとしてまとめれば、よりよい活動ができるのではないかという希望を持ちつつも、今ある団体を解体して、作り直すことに不安を感じていた。
「先輩、どうしましょうか」--。
青商会結成準備委員会及び事務局には、当時、4人の専任活動家と各地の協議会メンバーら13人が集められていた。宋会長を中心に、地域の信頼の厚い各地の協議会の中心メンバーたちが周りを固めた。西東京の故金光男副会長や、神奈川の故呂光燮副会長、北海道の李敬銖副会長、兵庫の李政史副会長、山口の韓広希副会長、福岡の金光雄副会長…。
「当時、副会長たちは、ほとんどが各地域の協議会で活躍していた1歳上の先輩たちだった。金光男副会長や呂光燮副会長…多くの先輩たちが支えてくれた。先輩たちに意見を求めると『やろう』と。『責任者なんだから、お前が頑張れば皆が後押しするから』と応援してくれた」(宋会長)
地域の後押しも心強かった。宋会長はもともと台東地域の協議会責任者を務めていた。「協議会の歴代の先輩たちに相談すると、地元は全面的に応援するから、やってこいと支えてくれた」。
当時の心境は、「不安と、よし、やってやろうという割り切った気持ち」。憂慮の声もあったが、それ以上に皆で新しい組織を作っていこうという仲間たちの心意気が宋会長の背中を押した。
(つづく、金宥羅)