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朝青兵庫・宝塚支部のプロボクサー委員長、諸一宇さん

2013年05月02日 14:00 スポーツ

リング上で聞こえる同胞たちの応援に身が震える。その感覚がたまらないとにっこり微笑む30歳。日中は清掃業で働き、夜はボクシングジムで汗を流すプロボクサー。戦績は6勝6敗3分。朝青宝塚支部の非専従委員長も務める。ミニマム級、身長162センチと小柄。「目立ちたがり屋」を自認し、学生時代から腕っ節が強い「まとめ役」でもある。

朝青兵庫・宝塚支部の諸一宇委員長

宝塚、尼崎の朝鮮初中級学校に通ったころは、サッカー部。神戸朝高入学後は個人競技であるボクシング部に入部した。1年時には指導教員がいなかったが、2年時に現監督の金潤徳教員による本格的な指導を受けると、すぐに頭角を現し、2、3年時にインターハイ出場を果たした。

朝高を卒業し、スポーツ推薦で日本の大学に進学。しかし、同時期にアボジが入退院を繰り返していたため3カ月で中退。「働きながらボクシングを続け、プロになろう」と決意し、19歳でプロデビューを果たした。デビュー戦を前に、アボジが他界。「やりたいことをやれ」とプロボクサーになることを推してくれたアボジの墓前に、「中途半端には辞められない」と初志貫徹を誓った。

20代中盤、プロボクサーとして壁にぶつかり悩んだ時期に、東京のジムに通い環境を変えた。「ダラダラした生活」が続いたころ、朝高時代に祖国強化練習でともに汗を流したプロボクサーの李冽理選手(大阪朝高出身)や尹文鉉選手(東京朝高出身)が活躍する姿を目の当たりにし、刺激を受けたこともある。ストイックなボクサー生活における多くの経験が今の生活を支えている。

さらに生活に潤いを与えているのが、朝青活動だ。東京にいたとき、居住地域の朝青支部に顔を出し、他県出身でも快く受け入れてくれる暖かさに触れた。その後、「朝青宝塚支部委員長」に任命され、東京から宝塚に戻る「口実」が出来た。昨年9月、地元に根ざしたボクサーになりたいという思いもあり宝塚に戻った。

朝青活動はボクシングの厳しいトレーニングから離れられる「憩いの場」でもあると話す。朝青員が拡散して住む宝塚地域で、電車やバスが通っていない地域に住む朝青員の家へも車で積極的に訪問活動を続ける。委員長として、朝青員たちをまとめ、兵庫全体を盛り上げたいと話す。

「朝青員が楽しいと思える場をつくりたい」。この考えで、支部常任委員会とは別に、月に一回、食事会などの支部行事も設けている。週一回の活動日には、5件以上の訪問活動を朝青員とともに欠かさず行っている。「情勢が厳しくても、それに負けることなく明るく生きよう」。様々な体験から得てきたこのモットーが全てを変えていく原動力になっていくはずだと語る。

(李東浩)

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