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〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 50〉詩人、画家の竹香-「花鳥花卉草蟲圖帖」描く

2013年03月28日 10:14 文化・歴史

竹香イメージ

平壌の名妓

19世紀、67人の妓生とその周辺を記録した韓在洛(ハン・ジェラク)の「録波雑記」(ロクパチャプキ)には、詩人であり画家でもあった妓女竹香(チュクヒャン)についての記述がある。

「竹香は竹葉の妹である。彼女が描いた竹の画を見たが趣があった。また、竹葉が自分の妹は飛び抜けて美しいと称賛していたにもかかわらず今まで会えずにいたことが惜しい。・・・偶然路上で彼女と会ったが、赤いチマと玉色のチョゴリを着た姿がなよやかだった。・・・客を見て椅子から素早く立ち上がるその若く美しい姿が、人の心を動かすようだった」

竹香は姉である竹葉と共に当時の平壌で名妓として名を馳せ、ソウルに移住した後は当時の名士達や中人層の作家達とも幅広い交流を持ち、文学と絵画の両方に足跡を残した芸術家であった。

当時、経学、仏教、詩文学、絵画など多様な分野で研究と業績を積み、19世紀東アジアを代表する知識人であり、その達筆から書聖と呼ばれた金正喜(キム・ジョンフィ 1786~1856)が彼女に惹かれ、求愛の詩を送った末噂になり妻に弁明の手紙を送ったことも有名な話である。

美しき芸術家

当時の学者、芸術家であった申緯(シン・ウィ1769~1847)の「警修堂集」(キョンスダンチプ)、李晩用(リ・マニョン 1802~?)の「東樊集」(トンボンチプ)、金正喜の「阮堂集」(ワンダンチプ)などに彼女の蘭竹画についての記述があり、また代々承文院と奎章閣で書吏に就いた代表的な中人の家柄であった詩人羅岐(ラ・ギ 1828~74)は、「碧梧堂遺稿」(ピョクオダンユゴ)に次のように書き残している。

「一幅の蘭を描くのに書を認める様に筆を持ち、美しい筆致で描いている。芳心は秋風を早く見送り、蘭の葉の下の小さな花が(姿を現すことを)疎まない。露に濡れた紅葉は緑になり林を成す。まさにこの中に清涼な卷が隠れている。閨房でこのような妙墨を伝えるとは。鷗波は千年後もこの心を証明して見せるだろう」

(一幅寫蘭如寫書,彩毫拈出畵眉餘,芳心惱煞秋風早,葉底殘花不耐踈, 露梢風葉綠成林, 特地淸凉卷裡尋, 自是香閨傳妙墨, 鷗波千載證同心)

また、竹香の「墨竹帖」に申緯が題詩を書いていること、金正喜が自らの文集に彼女に関する詩を二首書いていることからも、当時の彼女に対する世評をうかがい知ることができる。

美術史上重要な作品

竹香が書き残した「花鳥花卉草蟲圖帖」は19世紀の女性画家としては稀に現存するもので、蟲や牡丹、薔薇や蓮、蘭など朝鮮女性達が好んで描いた題材を選択し、繊細な筆致とニュアンスのある色彩で描き上げた美術史上重要な作品である。竹香の作品群で現存するものもこれのみである。その他の作品は、多くの士大夫達によって評は伝わるが現存しないか、未発見である。

「花鳥花卉草蟲圖帖」に描かれた花卉や蟲は対象を画面の片方に大きくデフォルメした折枝畫様式で描かれ、中國畵譜風の影響を受け陳淳や惲壽平など元、明代の画家たちの技法を取り入れていることなど、他には例を見ない試みがなされている。

数多の学者や芸術家が足しげく彼女の元に通い、互いに交わされた芸術論は一体どんなものだったのだろうか。

竹香作の漢詩を二首。

薄紅の花が開き 春は枝に満ち

艶めく色と柔らかい香りは雨後に新しい

鳥のさえずりひと聲が庭園の朝を告げ

窓を隔て佳人は起きよと促す

(紛紅花放滿枝春、潤色柔香過雨新、啼鳥一聲庭院曉、窓催起畵眉人 )

楼閣の門前には千絲のしだれ柳

緑の陰が霧のようで村が見えない

忽然と現れた牧童は笛を吹き通り過ぎる

江には霧と雨 黄昏に暮れ行く

(千絲萬樓柳垂門、綠暗如煙不見村、忽有牧童吹笛過、

一江煙雨自黃昏)

(竹香、生年没日未詳、号は琅珏(ランガン)、蓉湖漁夫(ヨンホオブ)、平壌で19世紀に活躍)

(朝鮮新報)

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