公式アカウント

〈ハングルの旅 10〉純朝鮮語で心のひだを表現

2012年01月27日 13:33 文化・歴史

鄭澈の肖像画

鄭澈(1536~1593)は朝鮮王朝中期の代表的な詩人の一人である。また今で言う第一副首相の地位にあたる左議政まで務めた政治家でもあった。ここでは文学者としての鄭澈とハングルについて見ることにする。

鄭澈の肖像画

純粋な朝鮮語である固有語を駆使した鄭澈の先駆的なハングルによる時調や歌辞の創作活動は、17世紀の中葉以後のハングルによる小説文学の隆盛に大きな影響を与えた。

鄭澈の詩歌集である「松江歌辞」に収録されている「関東別曲」「思美人曲」「続美人曲」「星山別曲」をはじめ数多くの詩歌には、漢字語や漢文調の言葉ではない純朝鮮語である固有語が「言語芸術の極致」とまで言われるほどに磨かれて使用されている。

当時、両班たちが漢字語や漢文調の言葉を好んで使いたがる風潮が強かった中で、鄭澈のように固有語を積極的に使用した詩歌の創作は、朝鮮文学の発展はもちろんのこと朝鮮語の発展においても極めて注目される。

ハングル小説「謝氏南征記」の作家である金萬重(1637~1692)は、鄭澈の「関東別曲」「思美人曲」「続美人曲」を「古より朝鮮語文章の真の模範」であると褒め称えている。多くの人たちが鄭澈を「国文学の巨星」「歌辞文学の大家」「豪放な文体と繊細な技巧を兼備した優れた文章家」などと絶賛しているのもうなずけよう。

江湖에 病이깊어/竹林에 누웠더니/関東 八百里에/方面을 맞디시니/어와 聖恩 이야/가디록 망극하다

世を離り 竹林の/病の床に臥すわれを/八百里 関東の地の/方伯たれと のたまいし/あなかしこ 聖の王の/み恵みの極みなきこと

鄭澈の松江歌辞

鄭澈の有名な歌辞「関東別曲」の導入部である。歌辞とは時調と同じく朝鮮固有の詩形式の一つで、三・四調または四・四調の韻文の連続体で、時調が初章、中章、終章の三章からなる短歌であるのに比べて、歌辞はいくらでも続く長歌であるのが特徴である。鄭澈はこの歌辞文学の代表的な作家で、彼がうたった時調や歌辞は朝鮮の優れた古典として今も多くの人に読まれている。

南朝鮮で発刊されていた月刊雑誌「現代文学」(1976年11月号)に掲載された、チェ・ホヨンという評論家の論文「鄭松江の言語美学」によると、鄭澈文学の5編の歌辞の総語数は1,494語だという。その中で純粋な朝鮮語が1,039語、漢字語の中で完全に朝鮮語化した言葉が220語、漢字語が235語あるという。純朝鮮語と完全に朝鮮語化した言葉を合わせると全体に占める割合は84%になる。つまり漢字語はわずか16%に過ぎない。

このように鄭澈が純粋な朝鮮語や完全に朝鮮語化した言葉で時調や歌辞を創作することができたのは、朝鮮人の心のひだまで繊細に言い表すことのできる朝鮮語と、それを発音どおりに書き表すことのできるハングルという世界に誇る素晴らしい文字があったからである。もし、純朝鮮語を書き表すことのできるハングルという文字がなかったならば、固有の朝鮮語をふんだんに用いた朝鮮文学という知的財産、民族文化を創造することはできなかったであろう。

(朴宰秀、朝鮮大学校朝鮮語研究所所長)

 

( 朝鮮新報 2012-01-27 11:24:53 )

Facebook にシェア
LINEで送る