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〈人物で見る朝鮮科学史 62〉中世末期の科学文化(1)

2008年07月04日 00:00 歴史

任元濬、天然痘の知識を整理

「胡鬼媽媽」をお祓いする巫堂

「胡鬼媽媽」をお祓いする巫堂

朝鮮王朝時代は壬辰倭乱を境に前期と後期に分けられる。前期の科学文化は世宗時代があまりにも華々しいので、その後の発展がかすんで見える。しかし、科学が蓄積されて伝承される知識であることを考えると、当然、その後もさまざまな展開があるが、とくに医学分野がそうである。なかでも、この頃から研究が深まったのが天然痘に関する治療法で、その契機となったのが任元濬の「瘡疹集」である。

周知のように現在は絶滅したが、天然痘は古代から伝染力が非常に強く、死に至る疫病として、また完治しても痘痕が残ることから人々に恐れられていた。朝鮮では天然痘は「胡鬼媽媽」という女の鬼神が取り憑いたものと思われ、巫堂によるお祓いが行われていた。そんななかで天然痘の知識を整理しその対処法を記した、現存する最古の朝鮮の医学書が「瘡疹集」で、それは天然痘に対する迷信と医学との戦いの歴史の始まりを告げるものでもあった。

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