Facebook

SNSで共有

〈事実は語る―朝米合意を破ってきたのは誰なのか(下)〉「疑惑」ねつ造による責任転嫁の手法/李東埼

「米国の目標は朝鮮の崩壊であって対話ではない」

2. 1994.10.21 朝米基本合意文(「悪の枢軸」と名指しして破棄)

第1次核危機後の対話再開から生まれたこの合意は米朝枠組み合意、または単に枠組み合意とも呼ばれている。

対話が再開されるのとほぼ同時に、金日成主席の死去、社会主義市場の消滅、三年つづきの大自然災害が重なった。国家が存亡の危機に瀕し「苦難の行軍」と呼ばれた。労せずして目的が達成できるとほくそ笑んだ米国は、合意の履行をサボりながら禿鷹のように崩壊を待った。しかし、その目論見ははずれ、朝鮮は力強く再起した。

そこで米国は2000年10月12日、朝米共同コミュニケの採択に同意し、基本合意文の履行にようやく取り組み出した。国交樹立のために趙明禄国防副委員長が特使として訪米し、オルブライト国務長官が特使として訪朝した。

*************************************

※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。

 会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。

 会員登録ご希望の方は、「新規会員登録」にてご登録をお願いします。

 大変申し訳ございませんが、2013年4月20日までに会員登録をしていただいた方も、再度ご登録をお願いいたします。

 パスワードを忘れた場合、「会員パスワード紛失窓口フォーム」をご覧ください。

*************************************

로그인(ログイン)