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〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 46〉壬辰倭亂の義妓-桂月香(?~1592)

2012年12月11日 15:05 主要ニュース 歴史

肖像画が京都で発見

前代未聞、妓生の肖像画を祭る

妓生の肖像画が存在し、その妓名と肖像画の由来が明らかにされ、ましてや1815年当時には藏香閣という祠に祭られ、年に一度祭祀が行われていたというから驚きである。

義妓桂月香の肖像画

2007年、古美術収集家の安丙来氏が京都で見つけたものを公開したのである。

韓紙に描かれた彩色画で、縦105cm、横70cm、19世紀の典型的な美人画の技法を踏襲しており、肖像画には「義妓桂月香」という題と共に、漢文の文章が添えられている。

要約は次の通り。

「1592年、倭軍が平壌を占領した折、平譲の妓生桂月香(?~1592〉は金景瑞(キム・ギョンソ)将軍を手引きし倭軍の副将を暗殺、これを尊びここに記録する。

1815年の夏、(桂月香の)その姿を映し蔵香閣に掛け、1年に1度、祭祀を行っている。

平壌府妓生桂月香は倭軍の副將の寵愛を受けたが、脱出の機会をうかがっていた。だが機会を逃すと金景瑞将軍を兄と称し城内に導いた。桂月香は倭将が深い眠りにつくと金将軍を案内、軍幕の中に入った。倭將は椅子に座り両の眼を開いたまま眠っており両手に刀を持っていた。金将軍が剣を抜き倭将の首を刎ねた。倭將は首が地面に落ちたにもかかわらず刀を投げつけ、1本は壁に、もう1本は柱に半分ほど深く突き刺さった。

金将軍は城を抜け出そうとしたが思うようにいかず、二人とも無事ではいられないと判断し(桂月香の請いにより)金将軍は抜刀、桂月香を切ると城を抜け出した。翌朝、敵は倭將が死んだことを知り大いに驚き、士気が低下し勢いが削がれた」

1835年、平譲に義烈祠が建立されたとき、この画が奉納されたという。その記録は「義烈祠義妓桂月香碑文」に伝わる。

1835年、平譲に建立された義烈祠

桂月香作とされる漢詩が数首現存している。その内の一首は次の通り。

大同川の上で恋しい人を見送る

垂れた柳の千の枝でもあの人を繋げない

涙に濡れる瞳で 涙に濡れた瞳をとらえ

断腸の思いの私が  断腸の思いのあの人と対峙する

(大同江上送情人垂柳千絲不繫人、含淚眼着含淚眼 斷腸人對斷腸人)

 詩人も慕う妓生

この漢詩へのオマージュであろうか、朝鮮近代詩の父、韓龍雲(ハン・リョンウン)は「桂月香に」と

いう切々たる詩に「大同川」や「柳の枝」を詠っている。

桂月香よ

そなたは美しく恐ろしい最後の笑みを

乱すこともないまま

大地の寝台で

平壌市人民委員会が作成した説明碑

眠りにつきました

わたしはそなたの多情を嘆き

そなたの無情を愛します

大同江に釣り糸を垂らす者はそなたの詩を聴き

牡丹峰に夜遊ぶ人は

そなたの顔を見ます

子どもたちはそなたの名がつけられた山の名を憶え

詩人はそなたの死の影を詠います

人は必ず 果たせなかった恨を残し逝く

そなたには 果たせなかった恨があるのかないのか

あるとすればそれはなんなのか

そなたは 欲する言葉を発しはしない

そなたの紅い恨は 絢爛とした夕日になり

空の道を遮って荒涼とした 落ちてゆく日を取り戻そうとします

そなたの碧い憂いは しだれた柳の枝になり

かぐわしい花々に背を向け 運命の路に踏み出す暮れ行く春を

繋ぎとめようとします

わたしは黄金の盆に朝の陽を載せ

梅の枝に初春を掛け

そなたの眠るそばに そっと置いて差し上げます

さあ すると

早ければひと晩 遅ければひと冬 愛しい桂月香よ

義妓桂月香

壬辰倭亂の際、日本の侵略に抗し多くの民衆が熾烈な戦いを繰り広げた。その中でも妓生たちは、自らの立場を利用しその身を犠牲にして抵抗したという。


解放後、大同江の辺に設置された伽耶琴を奏でる桂月香像

敵將もろとも川に落ちて死んだ者、倭兵に穢されることを恐れ自ら死を選んだ者、戦火の中を避難、ただ行き会っただけの市井の娘のために身代わりを申し出た者など、野史に記録されたそんな彼女たち妓生の多くは名も残せず、ただ「妓生」のまま死んでいったのだ。

妓生に身を落とした彼女らの多くは、喰いつめて親に売られたか、身内の誰かが謀反の罪で逮捕、身分をはく奪され奴婢に落とされたか、或いは貧しさゆえ家を飛び出し行くあてもなくさ迷い妓房に身を寄せたかのいずれかだったろう。「朝鮮」という儒教国家に見捨てられ、「解語花」などという情緒的な言葉とは裏腹に、蔑まれ、虐げられてきた彼女らは、社会の最底辺で苦しみあえぎながらもなぜ外国の侵略に対してその身を呈して戦えたのか。

今まさに朝鮮の国土が蹂躙されようとしているにも関わらず、倭軍が迫ると王自らが宮殿と都を捨てて逃げ出し、軍人や官僚、貴族らは出世欲や嫉妬から救国の英雄李舜臣将軍を陥れ戦死に追いやったそんな悲惨な戦いの中、侵略に抗して死んでいった「名もなき」妓生の魂たちが現代に蘇り、桂月香の肖像画の発見に我々を導いたのだろうか。

(朴珣愛・朝鮮古典文学、伝統文化研究者)

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