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〈遺骨は叫ぶ 34〉福島・常磐炭鉱

2010年04月19日 00:00 歴史

警備厳しく長時間労働/いつも空腹、巡査あがりが暴力、193人死亡

性源寺内の碑。裏に「常磐炭鉱 沈基福外百貮拾八名」とある。

性源寺内の碑。裏に「常磐炭鉱 沈基福外百貮拾八名」とある。

福島県浜通り地方南部に、県全域の9%を占める広域都市・いわき市がある。この地域で安政年間に石炭が発見されたが、「その後、湯長谷藩・平藩と結んだ商人らによって掘り出され、タールの原料や黒船の燃料として江戸や神奈川へ送られた」(「福島県の歴史散歩」)。石炭の需要は次第に伸びたが、「西南戦争のため京浜地方に九州炭の移入が途絶し、常磐炭の重要性が高まってきた」(「福島県民百科」)ところに中央資本が進出し、1883年に常磐炭鉱社を作り、10年後には常磐炭鉱株式会社に発展し、敗戦が近づいた1944年に入山採炭も合併した。長く常磐炭田の勢力を二分してきたのが一緒になり、アジア太平洋戦争下では、石炭報国の名の下に増産を続けた。

常磐炭鉱と入山採炭への朝鮮人強制連行は、国家総動員法を背景とする「朝鮮人労務者内地移入ニ関スル件」の通牒に基づき、事業主が係員を現地に派遣して始まった。入山採炭の係員は、1939年に朝鮮に行き、「現在大韓民国となっている地域は全部歩いて」(「壁に語る」)朝鮮人を集めた。その結果、常磐炭鉱にはこの年の秋に497人、入山採炭には495人が第一陣として着山した。その後、朝鮮人連行者は年ごとに増加し、日本の敗戦までに常磐域炭鉱は7381人、入山炭鉱は6787人、計14168人になっている。

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