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〈人物で見る朝鮮科学史 74〉実学の時代(5)

正確な朝鮮地図の製作、金正浩 3年に渡る連載も今回が最後となった。最後に登場するのは「大東輿地図」の製作者金正浩である。「大東輿地図」は近代以前のもっとも正確な朝鮮地図として知られ、全国を南北に22に…

〈人物で見る朝鮮科学史 71〉実学の時代(2)

西洋近代科学技術の伝来 実学形成の重要な要因の一つは西洋近代科学技術の伝来である。朝鮮に西洋に関する情報が本格的に伝え始められたのは朝鮮後期になってからのことで、17世紀初、実学の先駆者といわれる李 …

〈人物で見る朝鮮科学史 70〉実学の時代(1)

西洋知識の導入図った金堉など 朝鮮王朝時代の科学技術を鳥瞰した時、二つの大きな山がある。一つは前期の世宗時代の科学技術であり、もう一つは後期の「実学」である。 壬辰・丁酉倭乱とその後の清国の侵攻などに…

〈人物で見る朝鮮科学史 69〉壬辰倭乱とその副産物(4)

朝鮮侵略に反発した千利休 壬辰倭乱のことを日本では「焼き物戦争」と呼ぶことがある。というのは、この戦いに参加した大名たちがこぞって朝鮮の陶磁器を持ち帰ったばかりでなく、数多くの陶工たちを連行し領内に住…

〈人物で見る朝鮮科学史 68〉壬辰倭乱とその副産物(3)

李長孫が考案した「飛撃震天雷」 SF映画の古典的名作「2001年宇宙の旅」は、類人猿の二つの群れが争う場面からはじまる。ある者が偶然(?)手にした骨で相手を威嚇し、それを空に放り投げると宇宙船に変わる…

〈人物で見る朝鮮科学史 67〉壬辰倭乱とその副産物(2)

許浚が書いた「東医宝鑑」 壬辰倭乱の戦火のなか避難する宣祖と行動をともにし、その相談相手となっていた一人の医者がいた。後に「東医宝鑑」を著す許浚である。 彼は、その道中で人々の惨状を目の当たりにして、…

〈人物で見る朝鮮科学史 66〉壬辰倭乱とその副産物(1)

亀甲船、李舜臣将軍の智略 1592年、日本の天下統一をはたした豊臣秀吉はその矛先を朝鮮に向けた。戦いに明け暮れた日本の大名とは異なり太平をむさぼっていた朝鮮王朝の両班貴族たちには危機感が薄く、日本軍の…

〈人物で見る朝鮮科学史 65〉中世末期の科学文化(4)

朝鮮地理学の百科全書的書籍 中世は世界史的に見れば15世紀までであるが、朝鮮科学史の場合は16世紀までが中世と区分される。というのも、西洋ではガリレオ、ニュートンによる力学の形成によって近代科学の幕が…

〈人物で見る朝鮮科学史 64〉中世末期の科学文化(3)

「王朝実録」に名を残す医女 内医院の一介の医女を主人公としたドラマ「チャングムの誓い」が大きなブームを巻き起こしたことは記憶に新しい。リ・ヨンエ扮する主人公の健気な姿に涙ぐみ、彼女を支え身分を捨て連れ…

〈人物で見る朝鮮科学史 63〉中世末期の科学文化(2)

門外不出の銀の精錬技術 07年6月、島根県の石見銀山がユネスコの世界文化遺産に登録された。石見銀山は16世紀初めに発見され、その後、約400年間に渡って採掘された世界有数の銀山である。当時、日本は銀の…

〈人物で見る朝鮮科学史 62〉中世末期の科学文化(1)

任元濬、天然痘の知識を整理 朝鮮王朝時代は壬辰倭乱を境に前期と後期に分けられる。前期の科学文化は世宗時代があまりにも華々しいので、その後の発展がかすんで見える。しかし、科学が蓄積されて伝承される知識で…

〈人物で見る朝鮮科学史 61〉ハングルと死六臣(4)

一流の学者で権力者、申叔舟 死六臣は、日本でいえば赤穂浪士の討ち入りのような話として小説やドラマにもなっているが、とくにリム・ジョンサン「삭풍 (北風)」(文学芸術総合出版社)は作者が歴史学者という異…

〈人物で見る朝鮮科学史 60〉ハングルと死六臣(3)

集賢殿の「八学士」、成三問 「世宗実録」にはハングル創製を完成させた人物として、鄭麟趾とともに崔恒、成三問、申叔舟、朴彭年、李善老、姜希顔、李★(★=王へんに豈)ら8人の名を記している。鄭麟趾を除いて…

〈人物で見る朝鮮科学史 59〉ハングルと死六臣(2)

解説本「訓民正音」 世宗時代の科学技術官庁ともいえる集賢殿には30人ほどの学士がいたが、そのなかの多くは漢文を崇高なものと考え新しい文字の創製には反対の立場をとっていた。そこで世宗の命を受け、若い学者…

〈人物で見る朝鮮科学史 58〉ハングルと死六臣(1)

世宗の名を不滅にした「訓民正音」 人類の文化的発展でもっとも大きな役割を果たしたものは何だろうか? 人によって見解は異なるだろうが、筆者は文字を挙げる。文字によって歴史が語り継がれ、知識が蓄積され科学…

〈人物で見る朝鮮科学史 57〉測雨器と気象学 番外編

「科学帝国主義」の象徴 1917年に朝鮮総督府観測所は、所長であった和田雄治の研究論文を一つにまとめた「朝鮮古代観測記録調査報告」を刊行した。ここには測雨器とそれによる降雨量記録をはじめ朝鮮における地…

〈人物で見る朝鮮科学史 56〉測雨器と気象学(5)

朝鮮の測雨器と和田雄治 今から約50年前、世宗時代の測雨台を発見した研究者は日本科学史学会誌に「李朝時代の降雨量測定法」という論文を発表した。その人にとっても最初の研究論文であったが、それは朝鮮科学史…

〈人物で見る朝鮮科学史 55〉測雨器と気象学(4)

現存する「錦営測雨器」 現存する唯一の測雨器は忠清南道公州観察司の前に置かれていたもので、通称「錦営測雨器」と呼ばれている。 1837年に製作されもので、植民地時代に日本に持ち込まれ1971年に韓国気…