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〈朝鮮歴史人物〉高句麗を輝かせた曇徴(1)

埠頭は旅立つ者、見送る者でごった返していた。 曇徴は、多くの僧侶たちに守られながら黙々と埠頭へ入っていった。周囲の喧騒などは気にもとめず、遠い海の彼方を眺めながら歩く彼の足取りはどことなく重かった。 …

東京・渋谷で絵本原画展

ふるさとの平和を望む、画家の金斗鉉さん 7日から東京・渋谷のギャラリーTOMで、絵本原画展「ふるさと60年 ―戦後の日本とわたしたちの歩み―」が開催されている。福音館書店創立60周年を記念して出版され…

金剛山歌劇団2013愛知公演「アンサンブル」、1,000余人が観覧

金剛山歌劇団2013愛知公演(主催=金剛山歌劇団愛知公演実行委員会)が5日、日本特殊陶業市民会館ビレッジホール(愛知県名古屋市)で行われた。 会場には、総聯愛知県本部の文光喜委員長、金剛山歌劇団愛知後…

〈どうほう食文化〉冷麺物語(4)-麺打ち大会の夢語る二、三代目

元祖平壌冷麺屋(神戸・長田) 元祖平壌冷麺屋の麺は、蕎麦の実の芯の部分だけを使っている白い蕎麦粉とじゃがいも澱粉、小麦粉と少量の重層をまぜる。スープはトンチミをベースに肉スープ(牛肉)を3:2で合わせ…

〈どうほう食文化〉冷麺物語(3)-初代は平壌生まれの麺職人

元祖平壌冷麺屋(神戸・長田) 戦後冷麺は、ホルモン・焼肉店の発展とともに日本各地に広がっていった。 冷麺の普及が興業的に成功したのは盛岡冷麺といわれている。咸興出身の青木輝人(楊龍哲)さんが故郷の麺を…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(9)

二人の息子は、自分たちがややもすれば祖国を裏切るところだった恥辱に対する悲痛な思いを胸に、夜明けに母を訪ねて高句麗の陣営へと移ってきた。 息子たちは母の前に伏して許しを請い、乙支文徳を訪ねて自らの罪を…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 55〉日常へのまなざし/林碧堂金氏

詩人、学者が競って跋文書く 「貧しさ」を背負い 1519年、夫である兪汝舟(ユ・ヨジュ)が政治的謀略に巻き込まれ流罪になったとき、18歳で嫁した林碧堂(リムビョクタン)金氏(1492-1549)は28…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(8)

…元々、鹿足夫人には二人の息子がいたが、彼らも母に似て両足が鹿の足とそっくりであった。 ある日のこと、その子たちが外で遊んでいると、貴族の子がしきりにからかうので、なぐったところ、そのまま死んでしまっ…