広島平和記念公園でフィールドワーク/「ウリ青春サミットin広島」
2025年07月20日 09:20 在日同胞在日朝鮮人の視点で

広島平和記念公園を巡るフィールドワークが行われた
朝青広島県本部が主催した「ウリ青春サミットin広島」(5日)の第1部では広島平和記念公園を巡るフィールドワークが行われた。
80年前の1945年8月6日、広島にいた朝鮮人8万人のうち、5万人が被爆した。
先代たちの苦しみを忘れずに未来を切り拓いていく覚悟が示された「ウリ民族フォーラム2025 in広島」(6日)の前日に企画されたフィールドワークのコースは、フォーラム実行委員会の研究チームが6月に行ったセセデフィールドワーク「歴史の上に私たちがいる」に基づいて決められた。
午後4時、原爆ドーム前の木陰に参加者たちは集合した。参考資料が配られた後、朝青広島県本部の尹雅璂副委員長(広島初中高教員)の案内の下、公園内を巡った。
はじめに尹副委員長は、広島は核なき平和を求めてきたが、アジア侵略の拠点となった軍事都市であったことを教えていないうえに、日本人以外の被爆者の存在が透明化されているという問題点を挙げ、軍都・広島の歴史について解説した。

尹雅璂副委員長が講師として参加者を案内した
大規模な宇品港(現広島港)を抱える広島には、19世紀後半に山陽鉄道が敷設され、朝鮮半島や中国大陸侵攻の兵站拠点になった。朝鮮の支配権を争った日清戦争(1894~95)の際には大本営が広島に移転。甲午農民戦争の弾圧・虐殺の総参謀部もここにあった。
現在、平和記念公園の北側にある広島城周辺には大本営跡地や、陸軍幼年学校の校門跡、侵略戦争を美化している広島護国神社がある。尹副委員長は「平和を謳いながら、他国に侵略したことに反省がないという矛盾が表れている」と指摘した。
この日の集合場所はまさに加害と被害の狭間といえる地点だった。参加者たちは原爆ドームから、原爆の子の像、原爆供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、原爆死没者慰霊碑、朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計塔、広島平和記念資料館の順に巡った。

平和記念公園の隅にある帰国記念時計塔を見上げる参加者たち
尹副委員長は死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」には主語が無く、何を伝えたいのかあやふやだとしながら2023年のG7広島サミットを振り返った。被爆地の広島でG7はロシア、朝鮮などの核保有国に対して一方的な誹謗中傷をしながら、G7が持つ核兵器を肯定した。
フィールドワークの最後に尹副委員長は「毎年夏になると広島の街は平和ムードになるが、私たちがその中にいてはいけない。ウリハッキョで学んだ、批判的に考えて本質を見抜く力を忘れないでほしい」としながら「各地にも隠された歴史というものがあるはず。歴史否定が蔓延する現状を打破するために若い世代が学んで、多くの人を巻き込みながら行動に移していこう」と呼びかけた。

広島平和記念資料館を見て回った
フィールドワークに参加した南侑希さん(留学同京都府本部・宣伝部長)は「資料館では原爆のひどさは伝わってきたが、朝鮮人が強制連行されて被爆したという事実が言及されてなかった」とし「北海道の夕張炭鉱や長崎の軍艦島(端島)に訪れた際にも朝鮮人強制連行に関する記述はなく、美化されていた」と話す。「加害の歴史に目を向けずに願う平和はうわべだけのものと感じる」と語気を強める南さんは「今日の経験を京都で共有して、現地に足を運ぶ重要性も伝えたい」と語った。
ここに初めて訪れたという卞薹樹さん(25、朝青千葉)は「慰霊碑の碑文に主語がないうえに資料館では米国の核開発について事実ベースの客観的な記述で主観がなかった」としながら「広島の朝鮮人がどれだけ被爆したのか数字として表れていなかった」と振り返る。卞さんは関東大震災朝鮮人虐殺の慰霊碑などがある千葉で「自身も常に学びながら朝青員たちが朝鮮人としての視点、歴史の延長線上に自分たちがいるという認識を持てるように組織づくりに貢献していきたい」と話した。
(高晟州)