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問題解決へ基盤築く/長生炭鉱、遺骨発掘に向け日本政府と協議

2023年12月15日 13:21 歴史

遺族会事務局長のソン・ボンさんが出席した

山口県宇部市の長生炭鉱で発生した水没事故(1942年)で朝鮮半島出身者136人が死亡した事故に関して、犠牲者の遺骨発掘をめぐる意見交換会が行われた。8日、衆議院第1議員会館(東京都)で開かれた意見交換会に、長生炭鉱犠牲者遺族会(以下、遺族会)と長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(以下、刻む会)の代表らが参加し、遺骨問題の解決に向けた日本政府との協議に臨んだ。

犠牲者の7割が朝鮮人

2013年に刻む会が建立した追悼碑と碑前で哀悼の意を捧げる人びと(22年2月12日撮影)

長生炭鉱で水没事故が起きたのは81年前、1942年2月3日のことだった。当時、地元民から「朝鮮炭鉱」と呼ばれていたこの炭鉱では、多くの朝鮮人が強制労働に従事していた。繰り返し起きる坑内出水は人命被害の危険度が高く、それを理由に日本人から避けられていた同炭鉱。そうした労働力不足の状況を賄うために、動員されたのが朝鮮人たちであった。募集を騙った強制連行などにより渡日した朝鮮人たちは炭鉱近くの収容所に拘束され、危険で劣悪な環境下での作業を強いられた。そして事故当日、法律で禁じられた海底下、40㍍未満の浅層での採掘を行ったことが原因で水没事故が発生。結果、183人が死亡し、全犠牲者の7割にあたる136人が朝鮮半島出身者だった。

事故後、犠牲者らの遺骨は放置された状態にあったが、その事実を知った日本人有志らを中心に91年に刻む会が発足。資料・証言の収集、犠牲者の名前と数の調査、追悼碑の建立などを目標に活動を始めた。発足初年には、事故当時の労働者名簿に記されていた朝鮮半島出身者らの住所宛に手紙を発送。手紙を受けた犠牲者遺族たちにも事故の事実が知れ渡り、翌92年に南朝鮮で遺族会が結成された。

以降、今日まで刻む会と遺族会は毎年の追悼行事の開催や、朝鮮人犠牲者らの名前を刻んだ追悼碑の建立(2013年)など真相究明と共に犠牲者慰霊の活動を進めてきた。両会は18年から、遺骨発掘並びに返還を目標とした政府との交渉にも踏み出し、この日の意見交換会はそれらの活動の一環として計画された。

方向性定まる

炭鉱の位置を示す2本のピーヤ(海底炭鉱の排気・排水筒)と犠牲者183人の名前が記されたろうそく(22年2月12日撮影)

意見交換会では、民間技術者への委託を視野に入れた海底での遺骨探索が可能な水中ドローンの開発など、遺骨発掘への具体的な方法について今後も協議を重ねることに双方が同意した。また日本政府の関係者らは、今後も遺骨発掘に向けた話し合いに応じていく意向を示した。

意見交換会終了後、遺族会メンバーは「日本の地で起きた事件だからこそ、日本政府が責任を持って遺骨を発掘してほしい」と発言。日本政府が無視を決め込み具体的な解決策を見出せなかったこれまでとは異なり「予想を上回る進歩はあった。日本政府が行動に移すことを期待している」と語った。

また、刻む会の井上洋子共同代表(73)は「今日を機に問題解決への方向が定まったことはこれまでにない成果だ。来年2月の追悼式に向けた政府関係者からの弔意を期待する」と口にした。

同会の上田慶司さん(65)は「遺骨発掘に向けた基盤を築くことができたように思う。今後も政府と具体的な話し合いを進めて行きたい」と話した。

一方、この日の意見交換会に同席した総聯山口県本部の金静媛国際部長は「犠牲者の中には朝鮮半島の北半部に本籍を持つ人もいる。日・南に加え、共和国を含めた遺骨問題の解決が急務であり、重要な課題の一つだ」として、引き続き、北南朝鮮の全犠牲者を念頭に置いた問題解決を求めていくとした。

(朴忠信)

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