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〈日朝和解への道 -中-〉人のためにやれることを / 写真家・しまくらまさしさん

2012年08月31日 10:00 文化・歴史

戦争は人を狂気に駆り立てる

写真家のしまくらまさしさんが8月4日~19日まで、茨城・古河市にあるギャラリーで写真展「足尾にて~かつ消え、かつ結びて~」を開催した。しまくらさんは足尾銅山閉山後の79年頃から足尾に通いはじめ、足尾をテーマに写真を撮り続けた。ここでの写真展開催はすでに3回目となった。足尾、船橋での個展開催を含めると8回目。グループ展は数え切れないほど。

自身の作品の前で語るしまくらさん

今回の写真展の案内状には「足尾というこの山間の地が世間の耳目を集めてからすでに一世紀以上の時間が流れた/ある老翁をして“亡国の愚挙”といわしめた近代化という名の国策/それがその時代に生きた人々と足尾の自然に何を強いて来たのだろうか(以下略)」と時代の流れの中で国策によって常に苦難を強いられた人々や自然への共感を滲ませていた。

かつては栃木県第2の人口を擁する一大産業都市として栄えた足尾は73年に廃坑になって以来、今ではその繁栄の跡を探す術もないほど朽ち果て、わずかに往時をしのばせる建物や精錬所跡が残されている。その残像の中で息づく人々の暮らし。展示された33点の陰影に富む写真にははるかな歳月の流れの中で消えつつあるものへの愛惜が刻印されている。

「来る9月4日は、足尾の鉱毒問題に命をかけて取り組んだ田中正造が死去して100周忌。渡良瀬川流域も流れ出た鉱毒による深刻な公害被害を受けた。足尾銅山から廃棄された鉱毒は、足尾山地を水源とする渡良瀬川を汚染し、下流沿岸の耕地を荒廃させ、渡良瀬川の魚類も捕獲できなくなった。松木村、谷中村など壊滅した村もあった。こうした歴史の光と影を正しく伝えていかないと同じ過ちを繰り返すことになる。フクシマの原発問題は、国策によって人々に犠牲を強いる点で足尾鉱毒と同じ構造」と怒りを込めて語る。

写真展「足尾にて~かつ消え、かつ結びて~」(茨城・古河市内で)

母が見た強制連行の人々

しまくらさんは1947年、新潟県長岡市に生まれた。後のしまくらさんの生き方に決定的な影響を与えたのが、明治生まれの母だった。物心ついた時から働きづめだった母は、新聞店をやりながら食堂もやっていた。朝早く新聞の配達を終え、日中は農作業、夜は食堂の仕事と、休む間もなく動き回っていた。そんな働き者の母が、わずかな時間を利用して、新聞を読んでくれたことが「私の人生にとても大きな影響を与えてくれている。それは世の中の動きや政治の動きに強い関心を持って見る眼を養ってくれたからだ」と述懐する。働きづめに働き続けて農村でその一生を終えた母が死の直前に伝えてくれたのが、ふるさとで母が目撃した強制連行されてきた朝鮮人たちだったという。しまくらさんは、後にその様子を詩にして、ある美術展で発表していた。この詩を読んだある読者が本紙にしまくらさんを紹介。その縁で、その詩を本紙に再録してくれたことがあった。

『…その1日をかけて私に語ったことは/たった1つのこと/人のためにやれることで/おまえに出来ることを/それだけやりつづけなさい……と/そして母が自分の人生で一番悲しかったことを/私に語ってくれた/…ふるさとの油田鉱山に/戦争中たくさんの朝鮮人が強制連行で働かされ/激しい労働と空腹で/男たちの泣き声が止まなかったと言う/

その人たちに/母は食料を深夜ひそかに差し入れをしていたという/ただ…/貧しかった我が家では/四十数名のその人たちの/空腹をまぎらわすだけの食料を/毎晩届けることはできなかった/だから母は/順番を決めて一人ずつ/今夜はあの人、明日はあの人…/だけど/その順番にあたらないたくさんの人の/ 泣き声を聞くことが/なによりも悲しかったと…/たくさんの悲しみが/ もっともっとあったはずなのに/でもそれが自分の人生で/一番悲しいことだったという母/そんな母を持てたことを/それだけで/私の人生は誇りに満ちあふれる/私はあなたの子だから!』(詩「母について」)

しまくらさんは高校を卒業後、上京し、国家公務員として働くかたわら明治大学の夜学に通い、やがて昼間の経済学部に入りなおした。さまざまなアルバイトをしながら、卒業。劇団のプロデューサーや自動車関連会社の広報を担当した後、40代で写真家になった。「人のために、おまえができることをやり続けなさい」と励まし続けてくれた母の言葉が、新しい人生に踏み出す決断を後押してくれた。

日本の敗戦からすでに67年。しかし、日朝間にはいまだに国交がない。

「日本と朝鮮の方々との間には、不幸な過去もあった。個人がどんなに優しくあろうと思っていても、戦争は人を狂気に駆り立てる。だから戦争はあってはいけない。戦争をなくすためにいつも最善の努力をするのが人間であり、人間だからこその努力もできる」と語る。しまくらさんは、日本の過去を改ざんし、強制連行はなかったなどと歴史を偽造し、隠蔽しようとする動きにも強い警戒感を抱いている。

「正しく伝えるために、何を撮るか。物事を1回言っただけでは伝わらない。それと同じで何度も撮って、しつこく撮り続けてしつこく見せていかなければ。そうして信念をもって伝えていかなければ」と。母が亡くなるまでしまくらさんに語った「人のためにやれることで/おまえに出来ることを/それだけやりつづけなさい……」という言葉が、いつも照らし、励ましつづけている。

(朴日粉

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