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〈在日朝鮮人関係資料室〉(3) 国語講習所から学校に

2013年12月23日 12:04 歴史 資料

朝鮮学校の教科書・教材②

教科書編纂活動の第2段階は1946年2月から翌年1月までの時期である。

46年に入り祖国の政情不安、当局による持ち帰り財産の制限などさまざまな事情が重なり、在日同胞は日本残留を余儀なくされた。それに合わせ民族教育の形態は、寺小屋形式の「国語講習所」から学校形式に編成されて行き、教科書編纂活動も総合的で一層正規なものへと発展していくことになる。

この時期から、教科書の作成は、朝聯文化部内に新設された初等教材編纂委員会によって進められていく。最初の教材編纂委員は文化部次長の李珍珪氏をはじめとする15人(現役大学生3人を含む)で構成された。第1回会議では、4月に発足する初等学院の教科を国文、地理、算術、歴史、理科、体育、音楽、美術、習字、図画、公民の11科目とし、学年を初級(1、2学年程度)・中級(3、4学年程度)・上級(5、6学年程度)の3等級に編成することが決まった。またこれに準じて、教科書を編纂していくことになった。

正規に出版された最初の本格的な教科書は、初等学院初級用の「初等国語読本(上)」(46年4月8日初版)で5万6千部発行された。その後、「初等算数」、「初等理科」、「オリニ(こども)国史」、「初等公民読本」、「初等朝鮮地理」、「初等唱歌集」、「図画」などが企画、出版されていった。

第2段階に発行された教材のなかで当資料室に保管されているものは、①「オリニ国史(上巻)」(124頁、46年5月20日)、②「オリニ国史(下巻)」(128頁、47年1月5日)、③「初等朝鮮地理(全)」(147頁、46年9月15日)、④朝鮮語学会編纂「ハングル初歩(한글 첫 걸음)」(49頁、46年6月10日)、⑤童謡第1集「はと」(29頁、46年8月15日)⑥童謡曲集「草笛(갈닢피리)」(21頁、46年7月1日)、⑦「ハングル略史」(68頁、46年7月13日)、⑧「ハングル終声解説(한글받침해설)」(38頁、46年6月24日)である。

①は原始時代から高麗衰亡まで、②は李朝時代から解放までの朝鮮史が、子ども向けにやさしくつづられている。執筆担当は林光澈氏。

③は朝鮮の地図、地勢、気候、交通について全体的にふれたうえで、中部、南部、北部朝鮮の各地勢、産業、都市、交通が表と挿絵を使ってわかりやすく説明されている。執筆を担当したのは李殷直、魚塘氏、挿絵は図画を担当していた朴盛浩、李仁洙であった。

④は朝鮮語の基礎を身に着けるために使用された副教材である。これは朝聯文化部が独自に作成した教材ではなく、1945年11月に本国の朝鮮語学会で発行されたものの翻刻版である。

⑤は唱歌の副教材として使用されていた童謡集である。14曲の童謡が収められている。児童心理に配慮してか、当時としては珍しく緑、黄、黒の3色刷りで印刷されている。同じく⑥も童謡集であるが、こちらは朝鮮の著名な童謡作曲家・鄭淳哲の童謡作曲集(1929年発行)で、朝聯大阪本部文化部が独自に編集した教材である。タイトルになった「草笛」や「わが子の行進曲(チャッチャックン)」など全10曲が収められている。

⑦と⑧は朝鮮語の正書法統一案制定において主導的な役割を果たした崔鉉培の著作を、朝聯文化部が翻刻したものである。教師用の参考書として使用された。

ちなみにこの時期の教科書は鉄筆で書かれていたが、そのほとんどは千宗圭氏の筆耕によるものである。

当時教材作りで一番の問題は、用紙と出版資金の問題であった。朝聯中央文化部は日本政府(商工省)と幾度となく交渉した結果、教材作りに必要な数万連(1連1000枚)におよぶ原紙の配給を確保した。また募金運動による出版資金の確保にも力を注いだ。なかでも大阪本部と兵庫本部が金融機関から受けた約30万円の融資は、出版活動に大きく貢献したという。

このように同胞1世たちは、人材や参考資料不足、用紙や資金問題に悩ませられながらも、民族教育への熱い情熱をもってそれらを自力で克服し、素晴らしい教科書を作り上げていったのである。(金哲秀、在日朝鮮人関係資料室長)

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