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見つめなおす、日本に眠る朝鮮文化財/五十嵐彰さんが講演

高麗博物館の企画で 昨年、開館20周年を迎えた高麗博物館(東京・新宿)で企画展が行われている(3月6日まで)。テーマは「共生社会の実現を目指して」。パネル展や連続講演会を通じ、日本と朝鮮半島の友好に向…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 43〉各地に人知れず置かれた「民族の魂」/連載を終えて(下)

返還運動の幅広い展開を かつての「韓日会談」では文化財返還問題が取り上げられた。会談に先立ち南朝鮮の考古・歴史学者は努力の末、ぼう大な「返還文化財目録」を作成し、日本側に総数4500点の文化財を返還す…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 42〉民族的怒りに突き動かされて/連載を終えて(上)

官民総出で略奪、今は所蔵ひた隠し 2015年3月から始まった本連載は、5月1日付で終止符を打つことになった。 振り返って見れば、長いようで短く、またたくまに過ぎ去った2年間だった。 本紙文化部の勧めに…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 41〉日本人の根深い略奪根性とエピソード

〝国王の陵を掘るとは何事か!〟民衆の悲痛の声 有光教一・京都大学名誉教授も触れている話だが、こんな光景が見られたという。当時慶州に長く滞在し、新羅通を自称していた大坂金太郎は「趣味の慶州」で次のように…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 40〉新羅古墳から世界的至宝、黄金製金冠の大発見

発掘急ぐ日本人ら、憤激する朝鮮民衆が押し寄せ かつて朝鮮総督府が実施した朝鮮の「古蹟調査事業」に、遅く参与した有光教一は、京都大学出身で、朝鮮考古学を専門にした。 有光は主に慶尚道一帯の新羅遺蹟の調査…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 39〉百済文化の精緻誇る遺物を着服、日本に持ち去る

百済・武寧王陵に匹敵する古墳を盗掘した軽部慈恩 百済滅亡時の戦乱で遺蹟が破壊され、遺物が戦利品として持ち去られたこともありうるが、これがすべての原因と強調する裏には、公州や扶余一帯に早い時期からの植民…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 38〉「上代文化の故郷」と感傷に浸る学者ら

「百済の扶余を見ずして日本文化を語るなかれ」 日帝時代に京城帝国大学予科教授だった近藤時司著書の「史話伝説~朝鮮名勝紀行」の序文には次のように書かれている。 「朝鮮半島は、わが国上代文化の母である。印…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 37〉「日本人の罪悪と地に堕ちたる道義」と断罪

盗掘意欲を一層あおった日本の学術調査 日帝の植民地支配を歴史的に合理化するための不純な目的を持った日本人考古学者の調査は、開城で高麗古墳から高麗青磁を盗掘して味をしめた日本人盗掘者の盗掘意欲を煽った。…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 36〉檀君・古代朝鮮の実在否定と「任那」への固執

日本人の歴史観を毒す皇国史観の亡霊 1992年6月30日から8月9日にかけて、東京・上野の東京国立博物館で「よみがえる古代王国~伽耶文化展」が開催された。 解放後、慶尚南・北道の星州、高霊、昌寧など、…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 35〉恥ずべき文明破壊の蛮行

膨大な楽浪古墳出土品を日本へ持ち去る 平壌は檀君が、古朝鮮王国の首都と定めた歴史的由緒の深い地である。日帝はこの史実をかたくなに抹殺しようとしたが、日帝時代に平壌で新聞記者だった八田巳之助はこれについ…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 34〉「日鮮同祖論」や「他律性」史観が跋扈

朝鮮の悠久な歴史を根こそぎ否定 日帝の朝鮮植民地支配の基本方針は、「抹殺」と「同化」であった。朝鮮の悠久な歴史を否定し、そのことを語るすべてのものを根底から抹殺しようとした。また朝鮮人の伝統的な風俗や…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 33〉古墳の乱掘に関わった総督府の御用学者たち

朝鮮文化の「学術的解明」に「寄与」と嘯(うそぶ)く 朝鮮総督府が植民地支配の全期間に行った「古蹟調査事業」は、古蹟の保存と学術調査の大義名分を立てての文化財の略奪と破壊そのものだった。 当時の東京帝国…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 32〉辛うじて残った金銅弥勒菩薩半跏思惟像

日本人骨董商から買い戻した李王家 朝鮮総督府の朝鮮文化財収奪政策を推進した関野貞自身は、朝鮮文化財の所持者でもあった。後の所蔵調査によれば仏像も8体所持していた。彼は1902年の早い時期に朝鮮に渡り、…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 31〉中央・地方の美術館に三国時代の仏像

欠落する朝鮮の貴重な文化遺産という視点 朝鮮は古代仏教芸術品の宝庫である。仏教が、中国から朝鮮に伝来したのは、高句麗時代の小獣林王2年(西暦372年)の時で、中国人僧・順道が仏像、経文を初めてもたらし…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 30〉日帝の銃弾、大砲に成り果てた朝鮮鐘

「金属強制供出令」で多くが犠牲に 朝鮮鐘に限らず、日本所在の朝鮮文化財の数量はいまだに正確な数がわからない。 問題は日本へ流出した原因である。朝鮮鐘を新羅時代、高麗時代と時代区分して様式や銘文、装飾模…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 29〉「朝鮮に存するものは、わずか二口」の朝鮮鐘

18回、朝鮮を訪問した伊藤博文も略奪か 朝鮮に現存する朝鮮鐘の中で、名鐘中の名鐘といわれるのが、慶尚北道慶州の奉徳寺の梵鐘である。この鐘は「聖徳大王の神鐘」と称され、新羅の第35代景徳王が死去した父の…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 28〉江戸時代の日本人が神仙の如く仰ぐ

日本の侵略によって、ほぼ焼失した李朝絵画 関野貞は李朝絵画が、江戸時代の日本人から「神仙の如く仰がれた」のを知っていたのかどうかはわからないが、自著で「余は李朝絵画につき充分な研究を試みておらぬ」と前…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 27〉日朝関係を多彩にした江戸の朝鮮通信使

朝鮮画を認めぬ植民地時代の御用学者ら 脇本十九郎は東京・国立博物館次長、東京藝術大学教授を歴任した人物だが、「日本水墨画に及ぼせる朝鮮画の影響」「美術研究」1934年4月号)で、日本人が朝鮮絵画に「冷…