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〈高麗人参余話 35〉病害

田んぼに人蔘を栽培する場合、人蔘を収穫した後、湛水して稲を栽培すれば土壌は還元状態になり、酸素が足らなくなって土壌中の根腐病菌は生育が止まり、死滅して病原菌の密度が減少する。人蔘を収穫した後、田んぼで…

〈朝鮮歴史民俗の旅〉白衣(2)

白衣民族という言葉が、朝鮮民族の別称として定着したのはそれほど古い時代のことではない。日本植民地統治時代、多くの朝鮮人は以前にも増して白衣を身につけた。民族主義者や愛国の志士たちはもちろん、一部の親日…

〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉烈士・柳寛順(上)

手元に2枚の写真がある。 1枚は梨花学堂に入学した当時、学友と共に写っている。14歳の頃で、友だちの肩に手をやって、首を少し傾けほほえんでいる。 もう1枚の写真は、1919年8月1日、ソウルの西大門刑…

〈朝鮮歴史民俗の旅〉白衣(1)

朝鮮人は自らを「白衣民族」と呼ぶ。白色の衣服を好んで身に着ける民族であるということだ。赤色が挑発的であるのに対して、白色は潔白、純粋、平和を表すという。しかし、それは色彩に対する現代的解釈であって、朝…

〈人物で見る日本の朝鮮観〉樽井藤吉

大和(やまと)の人、樽井藤吉(たるいとうきち)(1850~1922)は日本近代史上、特異な存在である。その特異たるゆえんは、日本で最初に社会主義を名乗る「東洋社会党」を明治15(1881)年5月という…

〈朝鮮歴史民俗の旅〉花(3)

国ごとに親しみのある花がある。英国人はバラ、中国人は牡丹である。日本人はといえばもちろん桜だろう。 親しみを感じるにはそれなりの理由がある。英国人がバラなのは、英国王室のシンボルであったことにもよるが…

〈朝鮮歴史民俗の旅〉花(2)

花に対する朝鮮人の感性はするどい。「三国史記」に次のような話が記録されている。 「新羅26代真平王の時代に、唐の皇帝が牡丹を描いた絵と牡丹の種を新羅王に贈った。牡丹の種は宮廷に蒔かれ、絵は王室の間に飾…

〈高麗人参余話 34〉連作障害(下)

人蔘は一般植物とは違い連作ができないため人蔘の収穫は「一代1回」とか「50年に1回」とか言われてきた。