〈西宮SEASIDE支部物語 6〉遊具が伝える再生への道のり/趙利寛
2025年02月10日 06:00 西宮SEASIDE支部物語1995年2月。街には、まだ瓦礫があふれ、粉塵が舞っていた。
涙の朝青支部緊急常任委員会。「同胞たちに夢と希望を!」というスローガンが生まれた。
2週間後の2月20日。常任委員会が呼びかけた緊急集会に集まった朝青員たちは、無事を確認し合い、安堵したのも束の間、目を丸くして耳を疑った。アスレチック遊具(350万円)寄贈プロジェクトを推し進めることを初めて聞いたからだ。西宮市からの50%補助があるとしても、この状態でどうやってお金を集めるんですか? 誰もがそう考える。しかし先の常任委員会で決まった計画が次々に報告された。
▼1カ月後に朝青世代の阪神初級卒業生を集め合同同窓会を開催する▼朝青員を対象に寄付を募る▼缶ビールを販売し1ケース当たり500円の配達手数料を頂く▼毎月チャリティーボーリング大会を実施する。
最後に、校舎復旧のため朝青支部に課せられた補修基金のノルマ、100万円のおまけつきだった。明日を切り拓くのは自分たちの手で! 私たちは、同窓会の案内と支援物資を手に、卒業生の家を訪ね回った。
桜が咲く頃、支部に避難していた同胞たちの多くは仮設住宅へと移り住んだ。
そんな中、開催した同窓会。集まった70余人の卒業生たちに復興への想いをぶつけた。私たちは、その日集まったお金と震災前から持っていたすべての財政を、その場で運営に苦しむ学校に寄付した。財政的には、ここからがゼロのスタートだ。
朝青の心意気は同胞たちにしっかり伝わっていた。震災直後から救援活動に挑む朝青の姿をずっと見守っていた同胞たちの愛が、爆発する。朝青の缶ビールは飛ぶように売れた。驚くほどに。西宮同胞たちはどれだけビールを飲んだのだろうか。基金も順調に積み上がり、毎月のボーリング大会も回を重ねる毎に盛り上がっていった。2月の集会で発表された計画はすべての目標を上回った。
そして夏休み。セミの鳴き声響く運動場に色鮮やかな遊具が設置された。
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震災後、朝青が阪神初級(当時)に寄贈した遊具は、尼崎初中に移設された。写真は95年9月
震災から30年。遊具は、今でも尼崎初中の小さな運動場で、子どもたちを笑顔にしている。震災の時、私の心を癒し続けてくれた当時2歳だったかれは、その後、幼稚班に入園し、あの遊具で夢中に遊んだ。時は流れ、一昨年かれはウリハッキョの保護者となり、昨年8月には西宮支部の朝鮮新報新規購読者の記念すべき50人目となった。
現・女性同盟支部委員長が、昨年6月の講習会でみんなに問いかけたこと。
「もしも今、震災が起こったら同胞たちは支部を頼るだろうか…」――
同胞たちから愛され、頼られる支部を、仲間たちと目指してきた。朝青支部の伝統は10期30年続いている。今では総聯支部常任委員の半数6人が歴代の朝青委員長経験者で組織の中核を担う。これからもきっと、同胞たちは支部を頼るだろう。信頼する仲間たちが、私たちが大切につないできたものがそこにはあるから。
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尼崎初中幼稚班の園児ら
(総聯西宮支部副委員長、建設業)