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〈読書エッセー〉晴講雨読・反戦平和と社会を語る物理学者の著書/任正爀

2024年04月24日 10:00 寄稿

春休みにアカデミー賞を受賞し大きな話題となった二本の映画を観た。『ゴジラ-1.0』と『オッペンハイマー』である。筆者が劇場に足を運ぶ時の基準は、大きなスクリーンでしか味わえない迫力ある映像とハッピーエンドである。

『ゴジラ-1.0』の舞台は敗戦直後の日本で、元特攻隊員である主人公が新しい「家族」を得て、米国の水爆実験によって巨大化したゴジラに立ち向かうという物語である。怪獣映画は久しぶりに観たが、確かに見ごたえある映像であった。また、戦争美化と捉えかねない場面もあるが、結末は期待通りといえるものであった。もともとゴジラは社会性の強い映画であったが、その後モスラやキングコングと対決するなど娯楽性の強いものとなった。それが福島原発事故を受けて制作された2016年の『シン・ゴジラ』では改めて社会性の強いものとなった。『ゴジラ-1.0』はそのゴジラの誕生を描き、『シン・ゴジラ』への伏線となることを示唆していた。

一方、『オッペンハイマー』は米国の原爆開発「マンハッタン計画」を成功させたが、水爆開発に異を唱えスパイ嫌疑で公職から追放された天才物理学者を描いている。けっしてハッピーエンドにはならないが、大学で物理学を教える立場としては、この映画は観ておかなければという義務感のようなものがあった。

アインシュタインやボーアをはじめ著名な物理学者が多数登場し、原爆開発過程が詳しく描かれ興味深いものがあった。3時間の大作であるが、様々なエピソードが散りばめられ長くは感じなかった。とくに、最後のアインシュタインとの会話は強く印象に残る。

ただ、「マンハッタン計画」の責任者としてオッペンハイマーに白羽の矢が立ったのは何故なのか、そしてかれは何故それを受け入れたのか、深く掘り下げられていなかった。それによって後半の汚名を晴らすためのいわば闘いでの苦悩がそれほど伝わってこなかった。

実は、この映画を観る前に科学者と戦争について考えておこうと手に取ったのが、2015年に集英社新書として出版された益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』である。著者は2021年に他界したが、ノーベル賞を受賞した著名な物理学者で、反戦平和運動を積極的に展開された人である。

『科学者は戦争で何をしたか』

本書の「はじめに」ではノーベル賞受賞記念講演と関連して次のように書いている。

「ある大学の教授から私の書いた記念講演原稿に対して、間接的に批判の声が聞こえてきたのです。原稿には、私が幼い時に経験した戦争に関する話も含まれていました。批判はその部分に対してでした。ノーベル賞受賞記念講演というアカデミックな場で、戦争に関することを発言すべきではない、不謹慎であるというのです。…なぜノーベル賞の記念講演で、戦争に関することを話してはいけないのでしょうか。むしろ私は、積極的に発言すべきだと思っています。これはこれから本書でお話しする戦争と科学のテーマにも深くかかわってくることです。…ノーベル賞が授与された研究は、人類の発展のためにも殺人兵器にも使用可能という諸刃の技術といっていいでしょう。科学に携わる人間ならばそのことを身に染みて感じていなければいけない。ところが、最近の研究者はそうした意識がどうも薄いようです。」

そんな社会状況に警鐘を鳴らすことが、本書の目的ともいえる。科学技術とは何かを歴史的に解き明かし、それに従事する科学者たちの実態に迫り、現在の日本の状況に鋭くメスを入れる。「諸刃の剣-<ノーベル賞技術>は世界を破滅させるか」「戦時中、科学者は何をしたか?」「<選択と集中>に翻弄される現代の科学」「軍事研究の現在-日本でも進む軍学共同」「暴走する政治と<歯止め>の消滅」「原子力はあらゆる問題の縮図」「地球上から戦争をなくすには」の7章から構成されているが、180ページほどで読みやすく色々と勉強になった。

オッペンハイマーと関連しては次のように言及している。

「戦時下における科学者の立場というのは、戦争に協力を惜しまないうちは重用されるもの、その役目が終われば一切の政策決定から遠ざけられ、蚊帳の外に置かれます。国策で動員されるということはそういうことです」

筆者が映画にハッピーエンドを求めるのはお金を出してまで暗い気持ちになりたくはないからであるが、『オッペンハイマー』を観終わって逆説的だが覚悟したほどではなかった。というのも国家権力に翻弄される人物像を想定していたのだが、そのスパイ嫌疑は対立する人物のいわば奸計のように描かれていたからである。制作者の米国政府への忖度なのかとも思ったが、映画はあくまでもエンターテイメントでありそれが限界なのだろう。

著者が「クォークの6元モデル」でノーベル賞を受賞したのは2008年で、その翌年に出版されたのが『科学にときめく』(かもがわ出版)である。

『科学にときめく』

「ノーベル賞受賞に寄せて」「大学と大学での学びへの提言」「学問・研究についての断層」「子どもと教育、そしてジェンダー」「平和と科学者の責任」の全5章で、ノーベル賞受賞記念講演をはじめとする講演録、インタビュー記事、コラム、学生とのQ&Aなどが収録されている。著者自身の研究のみならず、様々な社会問題についての含蓄ある考えは知ることができる。第5章については「思想的にも文章としてもまだまだ精錬されていない」としているが、それが前述の『科学者は戦争で何をしたか』に繫がっていったのだろう。

余談であるが、大学院の入試を終え時間的にも余裕があった頃、先輩から東京・田無にある東大原子核研究所での益川先生が主宰する研究会に誘われたことがある。その時、先生は黒板に「量子」の英単語を書かれたのだが、スペルが間違っていた。苦笑いしながら訂正されたが、先生の英語嫌いは有名でノーベル賞受賞記念講演も日本語である。英語ができるに越したことはないといわれるが、本人はその気がなかったらしい。実は戦争末期、アメリカの焼夷弾が実家に落ちたのだが、不発弾で奇跡的にみんな助かった。先生が反戦平和運動に積極的なのもこれが原点であるが、同時にそれが英語嫌いの理由ではないのか。ただし、あくまでも筆者の勝手な想像である。

(朝大理工学部講師)

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