ウトロと共にあり続けた運動/総聯南山城支部・金秀煥委員長に聞く


祈念館の外部展示・飯場内には、朝聯時代からの同胞たちの写真が展示されている。

「ウトロの歴史はたたかいの歴史であったし、私たちのアボジ、オモニたちの血と涙の歴史だ。その歴史は同胞組織の存在を抜きには語れない。…総聯の活動家たちが半世紀にも渡り、ウトロのため、同胞のために尽力されてきた歴史を私たちは決して忘れない」(08年2月27日)。土地裁判以降に発足したウトロ町内会で20年にわたり会長職を務めてきた故・金教一さんは、過去に本紙で掲載された記事の中でそう語った。祈念館完成という一つの結実を結ぶまで、解放直後からウトロ同胞たちの生活を傍で支え続けた同胞組織。ウトロの歴史と今後について、総聯京都・南山城支部の金秀煥委員長に話を聞いた。(まとめ・韓賢珠)

ウトロの歴史を見るとき、重要な時代区分として、まずは、祖国の解放後に同胞たちがウトロに定着し生活や教育の基盤を築くまで、次に、1980年代中盤の上下水道敷設や土地問題などウトロの地で権利擁護運動が本格化した時期をあげられる。そしてそれぞれの時代に、かつての朝聯支部からはじまる総聯支部が地域(マウル)の拠点となり運動が展開されてきた。

後者でいえば、当時は町内会がまだ発足されていなかったので、金善則支部副委員長(総聯京都・南山城支部顧問)や伊勢田分会長など当時の支部役員たちを中心に同胞たちと日本人支援者らが力をあわせたことで、ウトロ支援運動が始まった。支部活動家たちが町民たちの代弁者となり、日本人支援者や自治体への働きかけ、また裁判開始後も、「被告」にされた同胞たちを裁判所まで送り迎えするためのバス購入やそれに伴う募金運動など日常的な支援があった。

また2000年代後半になると、国際世論が喚起されるなかで支援の輪が広がっていくが、それに対し日本政府は無視を決め込んでいた。そのようななかで、同胞たちを取り巻く強制退去という状態を克服したのは、同胞たちの生活を守るという揺るぎない目的を掲げた当時の支部活動家、そして在日同胞が置かれた現状について棄民政策をとった南政府への責任追及と反省の思いで最終的に政府を動かした南の活動家たちの役割が大きかった。この歴史的な役割がその後もこの祈念館建設事業をも可能にさせた。

前任の活動家たちは「同胞たちのためなら、何事にも骨身を惜しまずとりくみなさい」と徹頭徹尾言っていた。同胞たちの尊厳と生活を守る、これが総聯の最も固有で重要な精神的支柱であり、それを実践してきた活動家たちの揺るぎない姿勢が、ウトロの歴史を支えてきた。こうした長年の組織の役割は、今後歴史が判断し証明するだろう。

ウトロ同胞を取り巻く状況は、この地で暮らしたいという要求は実現されたが、同胞たちの生活権が保障されたかといえばまだ課題が残る。その点、祈念館完成が終わりではなく、今私たちの課題が何かを直視し、後世たちが今後も様々な課題に積極的に取り組めるようにすることが重要だと考えている。

「ウトロ平和祈念館」は、差別に屈しなかった同胞たちの姿から、現代日本社会が内包する差別問題と、またそれを同胞と日本の市民らが共に乗り越えられるというをメッセージを届けたい。ハッピーエンドの未来志向ではなく、社会に残存する課題解決に向けた未来志向的な施設になれば本望だ。