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「ウトロ平和祈念館」開館を記念して/関係者の声

2022年05月10日 12:21 歴史

在日朝鮮人が集住する京都・ウトロ地区(宇治市)の歴史を伝え、平和を発信していこうという地域住民らの思いが込められた「ウトロ平和祈念館」が4月30日に開館した。「ウトロウィーク」と題した期間(4月30日~5月5日)に開催されたシンポジウムの登壇者、また関係者の声を紹介する。

勝村誠さん(立命館大学教授)

平和祈念館には活動や運動、研究、取材などのさまざまな成果がぎゅっと凝縮されている。私がウトロの町を訪ね始めて、勉強を重ねながらつくづく思うのは、この地域に住む人々は日本の植民地支配がなければ日本に渡ってくることのなかった人たちだということ。しかし研究を通じて得たこの認識は、世間やネットで書かれているものとあまりにも違う。

日本社会において、近現代の日本が周辺アジアに何をしたかということがまったく知られていない。

祈念館は今日が完成ではない。今後、祈念館が、未来を展望し平和を創造する場所に、地域の人々に親しまれる交流の場所に、さらには若い研究者たちが、この場所を拠点に研究を続け、展示もどんどんリニューアルしながら、社会の差別や偏見を解消するエンジンをつくる拠点になることを願っている。

郭辰雄さん(ウトロ民間基金財団理事長)

館内の展示物は、ウトロのこともそうだが、前提として朝鮮半島と日本の歴史、その文脈のなかで生まれるウトロの歴史を描けるように意識した。また、中学生くらいの子どもたちが来ても何かを感じられるようにと、難しい言葉を並べるより、ここに生きた人々のライフストーリーやモノ、写真などを館内にたくさんちりばめた。

祈念館はこれからがはじまりだ。人々がそれぞれの立場や歴史のさまざまな軋轢および対立を乗り越えて、ウトロ住民の生活を守り、ともに生きていこうという長年の取り組みによって市営住宅ができ、平和祈念館ができるという過程をたどった。この経験は、今後私たちがどうすれば平和をつくっていけるのか、違いを乗り越えて共に生きる社会をつくることができるのかというテーマについて、一つのモデルを示せたのではないか。多くの方々が是非とも祈念館に足を運んでほしい。

朴実さん(京都・東九条CANフォーラム代表)

かつてこの地域は戦争の軍事物資を送る拠点になっていて、自分の親世代は、いつも抗議しに訪れていた。

私は東九条の生まれ育ち。アボジが、朝鮮戦争が始まった1950年の12月に亡くなり、その時小学1年生だった。7人兄弟で食うていけない。生活保護を申請したが、当時の自治体職員から「日本人がこんなにまずしいのに朝鮮人のために税金を出せるか」と罵られた。小2からは新聞売りをして働き、同じ仕事をしていた上級生からお金を巻き上げられたり、給食もまともに食べられなかった。

そのような経験から、戦後の入管闘争や大村収容所に送られた同胞たちの救援運動などにも積極的に参加した。

孫の時代になり、東九条の児童公園に在特会がやってきては朝鮮学校に抗議するという名目でその場を占拠した。うちの孫たちが遊んでいる目の前で、聞くに堪えない言葉をいうわけだ。つらかったのは、九条で育った若い同胞の男の子らが、殴りかかっていこうとするたびに警察に羽交い絞めにされてね。小さい子は泣くし、当時のあの光景は忘れられない。(排外主義者らの)最後の捨て台詞は「不逞鮮人によってわれわれの憲法に保障された思想信条、言論の自由は奪われた」。この時代に、あんな奴らに生活や尊厳を踏みにじられるなんてね。自分の体が踏みにじられたような侮辱を受けた思いだった。

その一つひとつを乗り越えて今に至ることを思うと、祈念館という拠点が京都にできた意味はすごく大きい。

チェ・サングさん(南朝鮮の市民団体・KIN地球村同胞連帯事務局長)

2016年に初めてウトロを訪問し、その翌々週に住宅建設に向けた撤去作業が始まった。

アジアの経済大国である日本に、このような住居が放置されているということ、その場所で集まって暮らしてきた在日同胞たちが「ここで暮らし、ここで死ぬ」と言っていた意味を考えるようになった。KINのウトロ問題への観点は5つ。①日本帝国主義と植民地支配・戦争による被害、②日本政府の朝鮮人差別と放置、③韓国政府の在外国民保護という憲法上の義務不履行(棄民政策)、④居住権など普遍的人権、⑤結果であり現実としての強制退去危機だ。したがって、韓国政府もこの問題に積極的に対応しなければならず、また韓国の市民社会は、同胞たちの歴史と人権に無知で、無関心であったという自覚と反省を通じて、在日同胞たちの歴史を積極的にとらえるべきという点を拡散させようとした。

ウトロの歴史は、植民地と戦争、現在までつづく差別と嫌悪の問題をすべて示している。過去を消そうとする勢力を押しのけ、過去の過ちと向き合える歴史教育の象徴として祈念館があり続けることを願う。

来年には関東大震災から100年を迎える。当時、多くの朝鮮人が虐殺されたように、在日同胞に対する嫌悪の問題は根が深い。これを是正し、共に生きる努力が必要であり、その役割を祈念館が果たすと感じている。

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