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〈特集・ヘイト解消法5年〉識者がみる日本社会/報告要旨

2021年06月03日 14:16 権利

超党派の国会議員でつくる「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の集会(5月26日、参議院議員会館)の場には、差別根絶のためにさまざまな形で声をあげる識者たちが招かれた。識者たちは、日常的な被差別体験や闘いの現状を語り、包括的な差別禁止法の早期制定を訴えた。一部を紹介する。(賢)

いまある危機、魂の殺人/深沢潮さん(作家)

深沢潮さん

自分の被差別体験に触れるといろんなシーンが思い浮かび傷がうずくことがある。

私は父が1世で母が2世の、在日朝鮮人。長らく日本で生まれ育っているので、表に裏に朝鮮人を差別する空気を吸って生きてきたと思う。その空気の成分はいまもそれほど変わっていない。

そして自分自身が朝鮮人を差別していいという考え方を内面化していた。朝鮮人として生まれたことが嫌で親を恨んだ。中3の頃、姉が心臓の疾患を患っていていじめを受けると怖いということで、姉が小学校へあがるときに「通称名」を使うようになった。民族学校ではなく日本の学校に通っていて、周りに朝鮮人がいない環境だったが、友だちに「あの子は朝鮮人だ」とアウティングをされ、聞こえよがしにそれを言っている場面を目にし、「朝鮮人は臭い」「気持ち悪い」と仲間外れにされた。

とてもショックで自殺未遂をした。なぜそれを思い出したかというと、同じルーツを持つ中学生が裁判を起こしたという話を聞いたから。自分自身の中3の頃を思い出し、だいぶ前に自分は、どんな中学生だったかと小学校からつけている日記を読み返してみた。みると自殺未遂をした時のページは破られていた。記憶をたどると、「死にたい」「朝鮮人として生まれなきゃよかった」「悔しい」「私なんか生きていても意味がない」などと書いていたと思う。

当時は幼かったので愚かにも睡眠薬を飲めばいいと思っていた。しかし家に睡眠薬はなく、胃腸薬を一瓶飲んで、その場で吐いて死に至ることはなかった。けれど私のなかで死への誘惑があった。気にしなければいいとマジョリティの人はいうが、本当に深く、深く心に傷を負い、属性によって差別を受けることの痛みが積み重なっていった。常に私は朝鮮人だ、差別される存在だ、取るに足らない存在だと自分に植え付けていったし、それはやはり社会の空気がそうだったからだと思う。

それでも頑張って勉強して、社会で活躍すればいい。朝鮮人であることは克服できると努力した。けれど今度は国籍を理由に職業差別を受け、社会人になり交友関係を結ぶなかで、交際相手に出自を告白すると「うちの家系には入れられない」と非常にカジュアルに言われ、別れに至ることが一度や二度ではなかった。職場でのアウティングもされた。

結婚し母親になり、ママ友たちと付き合うなかで、私の出自を知らずに朝鮮人を見下す発言を何度も聞いた。友人には「聞き流せばいい」「気にしすぎ」といわれたが聞き流すことはできなかった。自分に向かうんじゃないかと思うと擁護することもできない。心臓に針が刺さるような心持ちだった。

作家になってからは、ヘイトスピーチに関して書いた「緑と赤」を出版した。ネット上のヘイトが拡散され自宅に差出人不明の手紙が投函され、転居を余儀なくされたこともあった。日常の些細な場面で、ヘイトや差別にさらされている。それが、私たちが日本で「在日」として生きるということだと思う。この小説が刊行されたのが2015年、翌年に解消法ができて5年がたった。けれどあれから私たちを取り巻く環境にどんな変化があったかを考えても、明確によくなったとは思えない。条例や裁判の良例など結果が出ている側面もあるが、形を変えたヘイトはまき散らされている。

ネットがあることでヘイトスピーチが可視化され、差別が強化されたように思う。直接言われなければ感じなかったのが、至るところで目に付くようになった。人々の差別意識はまったく変わっていなくて見え方が変わっただけだ。制度や民意を議論している時間はない、一刻も早く包括的禁止法をつくってほしい。選挙権がある日本人にとっては傷になる問題ではないかもしれない。けど当事者にとっては命の問題であり、いまここにある危機だ。ヘイトスピーチは魂の殺人だ。どんな出自、属性であってもこの場所に生まれてよかったと思える社会をつくりたい。

欠陥、市民が補う現状/安田浩一さん(ジャーナリスト)

安田浩一さん

国会に行き失望することのほうが圧倒的に多い。しかしその中で数少ない社会の勝利体験として、私のなかに刻印されていることがある。その一つが2016年のヘイトスピーチ解消法の成立だ。ちょうど5月24日、衆議院本会議で正式に成立したとき、「大きなうねりがこれからはじまる」「社会がひとつのけじめをつけた」「社会が新しい風景を獲得していく」そのように感じた。

その2年前、日本政府は国連人種差別撤廃委員会で「日本には深刻な人種差別はない」「我が国には憲法で表現の自由が定められているから法的整備はできない」と主張していて、法的整備ができないだろうと失望したことを覚えている。ところが、そこからさまざまな働きかけや当事者の思いが永田町にぶつけられどうにか解消法ができた。

それから5年、ヘイトスピーチが深刻な問題となっている沖縄ではいま人々が立ち上がり抗議をしている。川崎と同じ風景を那覇でみることができる。

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