【寄稿】忘れない、風化させない、繰り返さない―国策産業の実相示す「朝鮮炭鉱」の残痕/安田浩一
2021年03月02日 14:33 主要ニュース 文化・歴史 歴史宇部市(山口県)の床波海岸を初めて訪ねた。
砂浜に立って沖合に目をやると、海面から2本の円筒が突き出ていた。海中に無理やり土管を埋め込んだかのような不自然な光景を見ていると、なにか落ち着かない気持ちになる。心が波立つ。
長生炭鉱は、かつてこの場所にあった。1914年に開坑し、終戦時まで操業を続けた海底炭鉱である。最盛期には1千人を超える労働者が働き、年間15万トンの石炭を産出した。
海底から伸びる2本の円筒は、炭坑内の換気用に設けられた排気筒だ。地元の人はこれを「ピーヤ」と呼んでいる。そこに炭鉱があったことを知らせる、ただひとつの残痕だ。
長生炭鉱で大惨事が発生したのは1942年2月3日。日米開戦から2ヵ月後のことだ。沖合の坑道で落盤が発生し、海水が一気に流れ込んだ。逃げ場所はない。炭鉱労働者は瞬時にして真冬の冷たい海に飲み込まれた。