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〈福島初中・宝塚キャンプ〉生徒が出会った兵庫・宝塚の人たち

2013年10月04日 13:49 民族教育

「大震災」が生んだ日朝交流の広がり

兵庫県・宝塚市の日朝市民交流の歴史には、長い伝統がある。先日、その交流によって実現したのが、東日本大震災で被災した福島朝鮮初中級学校生徒の心と体のケアを目的に宝塚市の大林寺を拠点にして行われた「保養キャンプ」(9月19日~22日)。総聯、女性同盟、朝鮮学校オモニ会など日朝友好活動に携わる同胞と共に開催に尽力した日本市民らは、日朝友好運動の盛り上がりを底辺から支えてきた人たちだった。

経験に基づく視点

宝塚市の佐々木基文さん(62)は、東日本大震災と福島原発事故の2重苦を経験した福島初中の生徒らと会い、30数年前のことを思い出していた。

佐々木さんはかつて、兵庫県宝塚市の中学校で教員を務めていた。1980年代、近隣の宝塚朝鮮初級学校(当時)と教え子の生徒の間でいざこざがあった。しかし、その前年にたまたま教員同士の交流を始めていたため、その問題はすぐに解決した。交流の大切さを知った佐々木さんはその後、生徒、教員同士の交流に積極的に携わった。

当時宝塚初級に通っていた現在30代の同胞も「日本学校との交流が頻繁だったことをよく覚えている。それが普通だと思っていた」と振り返る。

それから30年が経った今も、佐々木さんはそのときの気持ちを忘れていない。現在、本業である住職として多忙な日々を送る中、「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」代表を務め、メンバーらと共に東日本大震災以降、朝鮮学校の生徒が書いた絵葉書を売って、その収益金を福島、東北の朝鮮学校に送る活動を行ってきた。佐々木さんは今回、「保養キャンプ」実行委員長の重責を果たした。

教員時代の経験や「宝塚市民の会」の活動に携わってきた経験から、「福島の子どもに、日本の子も朝鮮の子もない」と考えている。朝鮮学校生徒を特別視するのではなく、朝鮮学校のことを知り、そこに通う子どもたちの心理を知っているからこそ、教員時代と変わらない立場で福島初中の生徒を見ていた。

佐々木さんによると、キャンプ実行委の中心の「宝塚市民の会」に所属している日本市民のなかには、行動力のある人が少なくないという。彼らは今回、キャンプに合わせて夏の休暇をとったり、有休をとったりして、地元の同胞たちの力も借り、運営を力強く支えた。

募金箱持って奔走

キャンプ中、「宝塚市民の会」でリーダー的存在と慕われている女性がいた。田中ひろみさん(66)だ。キャンプでは一番遅い時間に寝て、一番早い時間に起き、食事の支度などをせっせとこなしていた。現在、朝鮮語を学んでいるという。

田中さんによると、昨年と今年にかけて計4回、宝塚では大林寺で福島の子どもたちのための保養キャンプが行われてきたが、朝鮮学校の生徒を招いて心と体を癒してもらいたいという思いを、「宝塚市民の会」メンバーは常に抱いてきたという。その思いを福島初中側に伝え続け、了承を得たのが今年2月。福島初中側の年間スケジュールのなかに組み込まれた。

「宝塚市民の会」はすぐに、総聯支部や女性同盟支部の協力を得て、カンパを集め、ビラ配り、市の後援を募る活動などに奔走した。すると多くの在日朝鮮人や日本人、そして神戸朝鮮高級学校をはじめとする県下の朝鮮学校生徒たち、そして見ず知らずの人たちも共感を寄せ、カンパに参加してくれた。「宝塚市民の会」メンバーは、行事があると聞けば、募金箱を持ってどこへでも出かけた。

「(朝鮮学校支援に対し)反対勢力もいなかったと言えばうそになる。でも、心の中でおかしいと思っている人を少しずつ掘り起こせた実感がある。今回、募金箱に毎朝お金を入れてくれた人もいた。朝鮮学校への補助金カットや『無償化』除外問題などに対しておかしいと思っている人に、『宝塚市民の会』のような活動に携わる人たちのメッセージが伝わっている」(田中さん)

田中さんは、自ら押しかけるように今回のキャンプに携わりたいと申し出てきた市民や、急用で参加できなくなった実行委員の夫や息子が代わりに手伝ってくれたという秘話を紹介しながら、「思いがけない『陰の応援』がいくつもあった。これまでにない活動の広がりを実感している」と喜んでいた。

「宝塚市民の会」の米田千代子さん(54)も、キャンプにきていた「宝塚市民の会」以外の日本人が今回、朝鮮学校の生徒と接することで彼らを身近に感じ、理解を深めていたと指摘し、「マスコミ報道に惑わされず真実を知ろうとしている。その姿が印象深かった」と「広がり」への手ごたえを感じていた。

(李東浩)

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