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〈日朝和解への道(下)〉日朝は一衣帯水の関係/長野県民会議に集う人々

2012年09月10日 16:05 主要ニュース

半世紀にわたる歌劇団公演

残暑厳しい8月下旬。長野県労働会館(長野市)の細長い会議室にメンバーらが集まったのは午前10時だった。「今年は大きな節目の年。平壌では金日成主席生誕100周年が祝われ、9月には平壌宣言発表から10年を迎える。しかし(日本では)『高校無償化』から朝鮮学校は除外されたままだ。今後の運動の拡大強化について話し合いたい」。

「朝鮮の自主的平和統一を支持する長野県民会議」(日朝長野県民会議)の伊藤晃二会長(67)のあいさつで、会議は始まった。2、3ヵ月に一度開かれる同会議。内容も多岐にわたった。16日に長野朝鮮初中級学校で開催される在日本朝鮮青年同盟(朝青)主催の「ヤフェスタ」の各地区での動員状況の確認、14日に行われる平壌宣言10周年に際しての街頭宣伝行動、また10、11月に予定されている金剛山歌劇団公演について話し合われた。

8月下旬に長野県労働会館で行われた会議

地域に根付いた交流

日朝長野県民会議が産声を上げたのは1978年2月だった。以来約35年、地道な活動を積み重ねてきた。

今は亡き清水勇前会長は2008年、結成30周年記念誌「悠久の歴史に立ってⅡ」の中で、民間レベルの運動の重要性について触れ「大事なことは日朝関係を歴史的に正しく学び、一衣帯水にある日朝間の正常化こそ自然の道理であるのに何が阻んでいるのかを検証し、打開していくこと」だと述べている。

県民会議にとって、在日朝鮮人は身近な存在、普段の生活の中に共にある隣人だ。長野市、上田市、松本市に地区レベルでの会が設けられており、地域に根付いた交流が続けられてきた。それが県民会議の強みでもある。長野初中がある松本では、行事があるたびにメンバーらが同校を訪れている。

運営委員の喜多英之さん(県労組会議事務局長、52)は、在日朝鮮人と県民会議メンバーが「すでに立場や肩書きを超え、(両国間に懸案があろうとも)切っても切れない関係」だと話す。

金剛山歌劇団の長野公演でのワンシーン(2008年10月)

その最たる象徴が、半世紀以上も続く金剛山歌劇団公演だ。始まりは在日朝鮮中央芸術団(金剛山歌劇団の前身)が結成された翌年の1956年。毎年途切れることのない公演の鑑賞者数は延べ45万人を優に超える。今年10、11月にも長野、上田、松本での公演を控える。

02年以降の10年

2002年9月。電撃的な小泉訪朝は「近くて遠い国」の両国関係を改善するはずだった。歴史的な平壌宣言の調印だったにもかかわらず、メディアは「拉致」問題のみをクローズアップし、日本の対朝鮮観は歪められ続けた。

そんな中でも金剛山歌劇団公演のともし火は消えることがなかった。もちろんすべてがスムーズだったわけではない。企業、行政からの協力がなくなり、資金面での苦しさはあった。

左から喜多さん、村山さん、伊藤会長

それでも、「関係なかったよ。政治問題よりも日朝の文化交流が大事だし、日朝関係に逆風が吹こうとも、根強いファンが多いから」(喜多さん)。大地に根を張った、これまでの長きにわたる運動の成果が、そこにはあった。

それだけはない。県民会議では結成翌年の1979年からこんにちまで17回もの訪朝団を組織してきた。訪朝人数は延べ500人以上にもなる。

テレビをつければ「拉致」の言葉が目と耳を覆う2004年には、2000年以来の第11次訪朝団が組織された。逆風の中でも日朝間の深い溝を埋め、「近くて近い国」にするための取り組みはしっかりと続けられた。今年4月には第17次訪朝団14人が、金日成主席生誕100周年を祝う平壌を訪れた。

この10年間に失われた両国間の信頼関係、歪められた世論。それが一昼夜で変わるとは思っていない。県民会議事務局長の村山智彦さん(自治労長野県本部書記長、53)は「日本が過去を清算するということは、相当な困難がつきまとう。それを望まない勢力も大きい。しかし拉致問題も含めて、国交正常化交渉の中で、両国間の懸案問題を一つ一つ解決していくしか道はない。長期的視座に立って、展望しなければ」。

14日、平壌宣言10周年に際して、長野、上田、松本の各駅前で街頭宣伝が予定されている。計5,000枚のチラシを配り、日朝国交正常化に向けた政府間交渉が再開、進展するよう街頭で市民たちにアピールする。日本と朝鮮の溝を埋めんとする県民会議の地に足着いた活動の歩みはゆるまない。

(鄭茂憲)

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