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〈遺骨は叫ぶ 20〉北海道・計根別飛行場

2008年11月17日 00:00 歴史

「滑走路の下に、朝鮮人の死体埋めた」

計根別第1飛行場跡の格納庫跡

計根別第1飛行場跡の格納庫跡

根室海峡を隔てて国後島が見える、北海道の北の果てとも言える野付郡別海町の牧場の中に、コンクリートで造られた掩体壕(飛行機を隠す所)がある。その上に上がると、緑の牧草地が広がり、農家が点在している。アジア太平洋戦争時、この地に日本最大の計根別飛行場が造られた場所には見えない。

計根別飛行場は、陸軍軽爆飛行場として1940年に、北の守りを堅固にする狙いで計画された。翌年には、旭川の広野組が元請けとなり、飛行場が造られる農地から多くの農家が移住させられた。工事が本格的に始まったのは1942年1月からで、建設工事は「ケノヒ工事」という暗号で呼ばれ、開通したばかりの標津線を、連日のように建設資材と、全国各地から動員された勤労報国隊、女子挺身隊、勤労動員学徒とともに、「朝鮮人労働者も多く見られ、一時は3000人を超える朝鮮人が従事した」(「中標津町史」)という。5月29日にアッツ島日本軍守備隊全滅と、戦局が悪化する中で、工事は強行された。

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