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〈遺骨は叫ぶ 9〉室蘭日本製鋼所・3千人中千人が逃亡、辛い強制労働

2007年11月19日 00:00 歴史

寮ごとに下士官あがりの指導員置き徹底監視

光昭寺に安置されている3人の遺骨(蔡鴻哲氏撮影)

光昭寺に安置されている3人の遺骨(蔡鴻哲氏撮影)

室蘭市は、北海道では最大の軍需工業の基地であった。その中心になっていたのが、日鉄輪西製鉄所と日本製鋼所であった。この二つの企業は、日露戦争後に発足したが、さらに大きく発展させたのは三井であった。当時、北海道炭鉱鉄道株式会社を支配するようになった三井は、その「鉄道を政府に売って得た3千万円の資金を、一部は汽船の購入と輪西製鉄所に投資し、残りの一半を日本製鋼所の相談に向けた」(「室蘭発達史」)のである。

「室蘭製鋼所は、その工事に使役せる土工を、既に200余名も殺したるが、この工事が完成までには、凡そ千余名を殺す見込みなりという」(東京社会新聞・1908年5月5日付)記事にも見られるように、北海道の工業化は、多くの人命の犠牲の上に進められた。

二つの企業は、満州事変の直後から大きく発展するが、日中戦争の頃から労働者が不足した政府は「国家総動員法」を公布した。太平洋戦争の開戦でさらに人手不足が深刻になり、日鉄輪西製鉄所では、1942年から3年間に訓練生という名目で、10回にわたり朝鮮人の青年を強制連行してきた。第4期生として1943年に連行された崔啓光さんはこう語る。

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