公式アカウント

〈遺骨は叫ぶ 8〉古川鉱業足尾銅山・食事は鰯と唐辛子味噌、栄養失調者も

2007年10月01日 00:00 歴史

「宮城遙拝」強制、目を動かすと殴打

小滝坑の入口は固く閉じられている

小滝坑の入口は固く閉じられている

日本の公害の原点と言われる栃木県の古川鉱業足尾鉱業所(現日光市足尾町)は、閉山して35年の歳月を経た今も、精錬所の煙害などで荒廃した風景に息を呑む。日本のグランドキャニオンと呼ばれる松木渓谷は、一木一草もない地肌を露出させている。銅山の被害に苦しむ、農民の惨状を訴えた田中正造などの運動はいまでも知られている。だが、足尾銅山に強制連行され、犠牲になった朝鮮人、中国人のことは知られていない。

足尾銅山は、1610年に2人の農民が、備前楯山で銅鉱を発見し、幕府の直山となった。1877年に古河市兵衛の経営となり、銅山や銅精錬事業に入れて、精錬所が新設された。

このころから精錬所から出る鉛害が農民を苦しめ、渡良瀬川の鉱毒問題で、田中正造代議士が帝国議会で抗議の質問を行った。

Facebook にシェア
LINEで送る