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〈遺骨は叫ぶ 6〉三菱鉱業崎戸鉱業所・社史から消された7千人の朝鮮人炭鉱夫

2007年08月10日 00:00 歴史

廃墟と化した鉱山、痕跡留めぬ跡地

無人となっている炭住跡

無人となっている炭住跡

長崎県の西彼杵半島の外海を車で走ったのは、今年の3月中旬だった。春の晴れた日の角力灘は碧く光っていた。点在する小島の間で、漁をしている舟がかすんで見え、海の香を運んでくる風もやわらかい。

だが、沖に浮かぶ島は、石炭産業が盛んだったころ「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼ヶ島」と坑夫に恐れられ、また、強制連行された多数の朝鮮人や中国人が労働したところだった。「西彼杵郡の島しょ部(主として炭坑のある島)に居住し、徴用および強制労働に従事させられていた朝鮮人の数は、伊王島1千人、香焼島5千5百人、高島3千5百人、端島5百人、崎戸町蛎浦島7千人、野母半島(現在の三和町付近)2百人、合計1万7千7百人」(「原爆と朝鮮人」)というから、膨大な数に驚かされる。わずか60数年前に、これほど多くの朝鮮人たちが厳しい労働と飢えに泣き、凶悪で苛酷な監督の仕打ちに明け暮れていたのだ。車の窓から見える穏やかな島からは、想像ができない暗い歴史だ。

高島、端島と歩き、この日は、旧崎戸町の三菱鉱業崎戸鉱業所の跡地に行くことにしていた。かつては離島だったが、いまは橋で半島とつながり、西海市崎戸になっていた。しかし、大島から橋を渡って崎戸に着いた途端、島のあちこちに崎戸鉱業の煙突、無人になっている炭住の跡、固く閉ざされた坑口などが見えた。廃墟と化した鉱山の跡が島全体を覆っていた。ガラスが割れた炭住の窓の奥は、真っ黒な闇で、その闇が、鋭く見つめているようであった。

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