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〈遺骨は叫ぶ 5〉秋田・花岡鉱山・生き埋めの朝鮮人救わず見殺し

2007年07月09日 00:00 歴史

重労働や虐待に抗議し中国人のいっせい蜂起も

現場近くの寺の境内に移された「七ツ館弔魂碑」

現場近くの寺の境内に移された「七ツ館弔魂碑」

1944年5月29日の昼近くだった。秋田県北にある花岡鉱山(現在は大館市)の七ツ館坑近くで、突如ドスンという音と同時に、地上が大きく揺れた。七ツ館坑落盤事故が起きたのだった。

七ツ館坑には、鉱車堅坑だけで、人道堅坑がなかった。坑夫たちは、鉱山に人道堅坑を掘るように要求していたが、無視され、堂屋敷坑と七ツ館坑をつなぐ連絡坑道を使っていた。その連絡坑道の真上を、花岡川が横切って流れていた。花岡川が陥没し、七ツ館坑内の日本人11人と、朝鮮人12人が生き埋めとなった。三昼夜にわたる救出作業で、1人の朝鮮人が助け出された。坑道の奥に続くレールを、タガネかハンマーで叩き、助けを求めているのを知りながら、鉱山では、ほかの坑道と鉱床への被害波及を恐れ、「遺体だけでも掘り出してくれ」と頼む家族や仲間の願いを無視し、夜中にトラックで大量の土砂を運んで埋めた。近くの寺の境内に、鉱山が建てた「七ツ館弔魂碑」があるものの、棄てられた人たちの遺体は、いまも底に埋もれたままだ。

花岡川は、いくつもの坑道の上を流れており、再び陥落の危険があった。鉱山では、花岡川を迂回させる計画をたて、この工事を鹿島組(現鹿島)花岡出張所が請け負った。鹿島組では986人の中国人強制連行者を、水路変更工事に使役したが、重労働や虐待に抗議し、45年6月30日に、中国人はいっせいに蜂起した。七ツ館坑落盤事故が、「花岡事件」の引き金となった。

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