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〈遺骨は叫ぶ 2〉岩本発電所・飢えに苦しみ逃亡、絶望して自殺者も

2007年03月27日 00:00 歴史

落盤死、転落死、トロッコとの衝突死

後閑地下工場の入口は、いまでも見ることができる

後閑地下工場の入口は、いまでも見ることができる

群馬県の北部から流れる利根川に沿って、JR上越線が走っている。沼田市の岩本駅の裏側に、東京電力の長い導水管と岩本発電所が見えるが、この発電所は、太平洋戦争の末期に、京浜地区軍需工場の電力不足を補うために計画された。工事は、間組利根川出張所が請け負ったが、この発電所の水は、利根川の約20キロの上流に取水口を造り、支流の赤谷川の水も引いたもので、当時としては大工事であった。導水トンネルの工事が始められた1944年には、働ける日本人を集めることが不可能になっていたので、約1000人の強制連行した朝鮮人を動員したことは「朝鮮人に関しては、当社の労務課が朝鮮に数回募集にいった。動員された朝鮮人の数は、約1000人に達した」(間組百年史)と社史にも書いている。

同じ時期に中国人たちも利根川出張所に連行されている。1944年4月に、直接中国から612人が船に乗ったものの、途中で6人が死亡し、606人が到着している。間組では取水口から発電所までの利根川に沿って、8棟の飯場を造り、そこに朝鮮人や中国人を収容した。作業は、はじめに材料運搬をやり、馴れてからトンネルを掘る仕事をした。完成を急ぐ作業だったので、仕事は苛酷をきわめ、落盤死、転落死、トロッコへの衝突死などが多発した。危険な作業現場だったことをこれらの死因は語っている。

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