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〈人物で見る朝鮮科学史 8〉広開土王とその時代(上)

2006年04月01日 00:00 歴史
広開土王陵碑

広開土王陵碑

紀元前277年の建国といわれる高句麗は、676年に新羅・唐の連合軍によって滅びるまでの約1000年間、東方の強大国として君臨した。東明王こと高朱蒙を始祖として28代の王を数えるが、その最盛期は19代の広開土王(在位391~412年)とその後を継いだ長寿王(在位413~491年)の時代である。

18歳の時に王となった広開土王は、強力な軍事力を背景に遼河を境とする中国東北地方および朝鮮半島の北部にまでその版図を広げた。当時の首都であった中国吉林省集安にはその功績を記した石碑があるが、これが有名な「広開土王陵碑」である。当時の状況を伝える碑文は実に貴重な史料であるが、判読できない個所もありその解釈をめぐって熱い論争が繰り広げられていることはよく知られている。陵碑を建立した長寿王はその名のとおり97才まで生き、領土を朝鮮中部にまで広げて427年には平壌への遷都を果たしている。ちょっと横道にそれるが現在、済州島で広開土王を主人公とした「大王四神記」というドラマの撮影が行われているそうである。主人公に扮するのはペ・ヨンジュンで古代史最大のヒーローをどのように描くのか、彼のファンならずとも期待したいところである。

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