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〈渡来文化・その美と造形 51〉連載を終えて、日本に残る渡来文化の重層

〈渡来文化・その美と造形 51〉連載を終えて、日本に残る渡来文化の重層

寺院、仏像、絵画、建築。広く深い影響 「渡来文化-その美と造形-」は、2010年1月20日付の第1回「石塔寺三層石塔」から始まり、2011年4月27日付の第50回「阿修羅像」で終わった。 古代日本で渡 [...]…

〈渡来文化・その美と造形 50〉阿修羅像

〈渡来文化・その美と造形 50〉阿修羅像

1952年の冬、「奈良春日興福寺国宝展」が東京で3週間開かれ50万人が、2009年「国宝阿修羅展」が東京国立博物館では94万人、九州国立博物館では71万人、興福寺での「お堂でみる阿修羅展」では28日間 [...]…

〈渡来文化・その美と造形 49〉東大寺法華堂・国宝仏

〈渡来文化・その美と造形 49〉東大寺法華堂・国宝仏

「法華堂」は、733(天平4)年、良弁僧正が創建した金鐘山金鐘寺の一堂で、東大寺では最古の建物である。華厳宗の根本道場として毎年旧暦3月に法華会が催されるため、「三月堂」とも呼ばれ、国宝である。良弁は [...]…

〈渡来文化・その美と造形 48〉佐波理

〈渡来文化・その美と造形 48〉佐波理

「佐波理」とはあまり聞きなれない言葉である。古代日本に出てくる。基本的には銅と錫の合金で、黄金色に輝いていてなかなか美事である。 正倉院「宝物」と言われる物の中にある。…

〈渡来文化・その美と造形 47〉天蓋荘厳雲花形裁文(正倉院)

〈渡来文化・その美と造形 47〉天蓋荘厳雲花形裁文(正倉院)

高笠麻呂という金工(金属工芸技術者)がいた。奈良の平城京の左京六条二坊に居住し、752(天平勝宝4)年4月、東大寺の大仏開眼会に使用された、表題の「裁文」を製作した。 「裁文」は大型の金銅透彫板で、最 [...]…

〈渡来文化・その美と造形 46〉正倉院

〈渡来文化・その美と造形 46〉正倉院

東大寺大仏殿の西北に白い土塀をめぐらした一郭が正倉院である。 「正倉」とは本来租税としての稲もみを収納した倉庫のことであり、「院」は周囲にかこいをした一区域を指すから、「塀にとりかこまれた租税収納倉の [...]…

〈渡来文化・その美と造形 45〉金石文(4):船首王後の墓誌

〈渡来文化・その美と造形 45〉金石文(4):船首王後の墓誌

船首王後の墓誌は、大阪府柏原市国分松岳山の古墳から江戸時代に発見されたらしいが、出土地点ははっきりしない。 金銅製で、長さ29.4センチ、幅6.7センチ、長さ1.5ミリである。 銘文は、表に4行86字 [...]…

〈渡来文化・その美と造形 44〉金石文(3):道薬師の墓誌

〈渡来文化・その美と造形 44〉金石文(3):道薬師の墓誌

人間は必ず死ぬ。死ねば、ほとんどは墓に埋葬する。日本の古代、奈良時代(8世紀)には基本的に火葬する。そういった墓から墓誌が発見されたりする。「佐井寺僧 道薬師」の墓誌もそうであった。 墓誌は1958年 [...]…

〈渡来文化・その美と造形 43〉金石文(2):文祢麻呂の墓誌

〈渡来文化・その美と造形 43〉金石文(2):文祢麻呂の墓誌

この墓誌は1831(天保2)年9月、奈良県宇陀郡榛原町八滝の文祢麻呂の墓から発見された。 この時の記録によれば、「金銅製の骨蔵器の中にやはり金銅製の壷をおさめ、別にまた銅箱の中に銅製の墓誌をおさめ、そ [...]…

〈渡来文化・その美と造形 42〉金石文(1):多胡碑

〈渡来文化・その美と造形 42〉金石文(1):多胡碑

多胡碑は群馬県多野郡吉井町にある。711(和銅4)年になった。近くに建っている山ノ上碑(681=天武天皇10年)と金井沢碑(726=神亀3年)とを含めて上野三碑と称せられ、古代史研究上、大変大きな意味 [...]…